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ドラゴンクエスト5に『勇者』は本当に必要だったのか?

ツイッターでドラゴンクエスト5(以下DQV)の「フローラ派か、ビアンカ派か?」という議論から発展して、

「DQVに『勇者』は本当に必要だったのか?」という議論に達した。

・そもそもまず、主人公強すぎね?
・勇者よりモンスターのほうが強くね?
・イベント上でも別に勇者いらなくね? ルイーダの常連じゃね?

「勇者いなくてもクリア(世界平和)できちゃわね?結婚も嫁もいらなくね?独身童貞でOKじゃね?」という感じに議論が発展した。



この問題に関して、まず勇者の戦力的な側面から見てみよう。

DQVにはボス敵含め、『勇者でなければ倒せない』という敵は存在しない。(*1)
天空シリーズの勇者といえば『天空装備』であるが、この装備でなきゃ倒せないという敵は存在しない。
主人公の息子である勇者は、「天空の剣」を初期装備として持っているが、別にメタルキング装備に差し替えても問題は無い。
さらに「兜」や「鎧」は入手しなくても放置したままストーリーを進められる。

以上の事象により、DQVにおいて天空装備の必要性は皆無であると理解できる。
DQIVにおいては「天空の装備がないと、天空の塔に入れない」というイベントがあるため装備は不可欠であり、その装備を可能とする勇者もまた必要不可欠であるといえる。
DQVでは天空の塔はすでに崩壊しており、誰でも容易く入ることが出来るようになっている。

*1
デモンスタワーで無敵状態のジャミと戦う際にビアンカorフローラから光の波動が発せられて、ジャミが弱体化するイベントがある。
あそこは実質、嫁がいないと攻略は不可能であるように思われる。
だがこれに対しても「そもそも嫁がいなければ、あのシチュエーションで戦うこともない」という反論があった。

さらにSFC版では弱体前でも倒せるらしい。もう完全に嫁からして存在意味がない。
「HP2000で自動回復100、9ターン目でビアンカ突撃前にひとしこのみバイキルトで削りきればおk」
(ひとしこのみ=会心の一撃を連発できる裏技。SFC版限定)



勇者自身の存在はどうだろうか?
勇者(息子)が仲間になっても、モンスターは健在である。加入後すぐにパーティの変更も可能であり、「勇者がいなければならない」というシチュエーションは以降のイベントにおいても存在しない。
勇者がルイーダの酒場に居たまま世界平和を迎えることも可能である。

反証のひとつとして『妖精の森』がある。迷路のように入り組んだ森である。
そこでは子供たちが妖精を発見しないと正規ルートが開かれず、いつまで経っても彷徨う羽目になる。
子供の頃は見えた『妖精』が、大人になった主人公には見えないため子供たちが必要になるのだ。

だが、このイベントも『勇者』である必要は無い。『子供』であればいいのだ。
事実、主人公の娘は「勇者ではない」。(天空の武具を装備できなかったというセリフがある)
そしてこのイベントは娘だけでも成立する。ここでも『勇者』という存在は必要な要素ではないのだ。

だが、これにより少なくとも「嫁と結婚、子供は必要」という立証がなされたが、
「別に主人公の子供でなくても、村の子供でもよい」という反証が成り立ってしまった。
なんだったら、ヘンリーの息子をさらってきて、親子揃って誘拐のトラウマを植えつけることも可能である。

さらには「童貞なら大人になっても妖精は見えるッ!!」という理論まで発生した。
「ベラと結婚してグランバニアで、傍からは誰にも見えないベラといちゃつく国王」になるのが夢だという。滅びろ。



石化した空白の8年は?

主人公はデモンズタワーでのジャミ戦のあと石化されてしまうが、その後サンチョ率いる子供達の活躍によって元の姿に戻ることが出来る。
このことは子供の存在意義をかもし出させるが、前にも挙げたように「そもそも嫁が(子供が)いなければ、あのシチュエーションで戦わない」というのが前提になる。

それに実際のプレイ問題として、サンチョ+子供たちのパーティでプレイする機会があったのなら、それは子供たちの戦力が大いに役立ち活躍したことだろう。
だが、プレイヤーは石化した主人公と離島のボンボンを見て暮らすことになる。子供たちの出番は無い。

こうなるとシナリオ上はサンチョ1人で「助けにきましたぞ~」となっても別に問題は無い。
実際、サンチョ1人でそれが可能かどうかは、加入後の子供たちのステータスを見れば判断がつきそうだ。
このレベル・ステータス・装備で深いダンジョンに潜ったとは考えづらい。

サンチョの性格(育児方針)から考えても「子供たちに“自分でやった”という実感を与えるのがいい育児だと思うんです。何でも親がやっては駄目なんです」と言いそうなサンチョであるから、内心「1人でもできたけど、子供たちのために一緒に冒険した」というのが本当のところであると思う。

つまりサンチョは1人でもやってくれた。サンチョはジョバンニ。一晩でやってくれる。



さて、ここまでで『勇者』という戦力は必要ないと判断できた。むしろ重要なのはサンチョだった。

次は嫁である。

まず嫁の正体は『天空人』である。
天空人と古代の民エルヘブンの血統が合わさったことで、勇者が生まれたというのがDQV内における理論である。
だが、そうなると「嫁xエルヘブンの民なら、誰でも勇者を作れるのではないか?」という新たな疑問が発生する。
これをDQV内において立証するのは無理がある。妄想であり、空想であり、想像であり、憶測に過ぎない。

が、これを覆す理論が出てきた。

ゲーム内において主人公と結婚した嫁(ビアンカorフローラ)は、「勇者を産む」という事実によって、天空人としての認定を受ける。
このとき私の盲点だったのは、「結婚しなかったほうは天空人ではない」という立証が無い点である。
つまり、「フローラもビアンカもどちらも等しく天空人であり、孤児だった」という説である。

なるほど、ストーリー的にはどちらと結婚しても勇者は生まれる。
それは「結婚したほうが天空人」などというエニックスのご都合主義ではなく、「どちらも天空人だった」という事実に他ならなかったのである。

このことから「天空人xエルヘブンなら、子供は勇者」という理論が成立する。
アンディxフローラの子供が勇者にならないのは、アンディが一般人であり、その子供が勇者でないのは必然である。
DQモンスターズ的に図を書くなら、「エルヘブンの民xフローラorビアンカ=勇者」ということであり、
それは「エルヘブンの民x天空人=勇者」と置き換えられると考えられる。



『娘』という存在の反証。

だが、「エルヘブンの民x天空人=勇者」であるならば主人公の『娘』も勇者としての素質を持っていなければならない。
しかし前述したように、主人公の娘は「天空の武具を装備できない」という事実により、「勇者ではない」とされている。

これに「女は勇者になれない」と女性蔑視とも取れる声があったが、それは「ブロッコリー」通称「DQ4の女勇者」という存在によってこの理論は一蹴された。

DQ3でも「今日まで男として育てられた16歳♀」通称「女勇者」が存在するが、DQ3における『勇者』とは天空シリーズの勇者とは異なり血筋や血統によるものではなく、「勇気ある者」という概念そのものであることから天空の勇者とは存在が異なると位置づけられた。



「勇者が生まれるのは確率」論。

血液型に則った考え方と同じ発想である。

地上人OO、天空人AA、エルヘブンの民BB、としたときに、勇者はABとする。

主人公は地上人(父:パパス)と、エルヘブンの民(母:マーサ)との混血児である。
となると主人公の中においてエルヘブンの血統は1/2となる。
これを血液型と同じく仮にBOという型だったとする。

天空人である嫁はAAであるが、純潔の天空人であれば背中に翼があるはずだが嫁にはない。
このことから嫁も天空人と地上人の混血であると推測される。
よって嫁の血液型はAOであるとする。

このときに、主人公x嫁で発生する系統は、

AB-AO-BO-OO、ということになる。

ABは勇者になる。よって息子はABであるとした場合、娘はそれ以外のAO-BO-OOになる。
他のシリーズでも『魔物使い』としての素質が見られる娘は主人公に近いのでBOだと推測される。

以降はゲーム中において、主人公に子供が見られないことから、この推測を用いてABが勇者になるという立証はできない。
しかし有力な説であるとは思うし、現代的に見ても納得のできる理論ではある。



「勇者は1人限定」論。

地上に勇者が存在すると、以降は勇者が輩出されなくなるという理論である。
こうなると天空人のDNAがすごすぎる。

さらには勇者を生むために既存の勇者を排除しかねない第三勢力が生まれ、HxHのグリードアイランドよろしく「今の勇者が死ねば、次の勇者が生まれる空きができる」とそれをよしとする恐怖の図が(ry
こうなると勇者を巡って魔族と人類と人類が未曾有の大戦争を繰り広げることになりかねない。

世界がやばい、勇者の存在で地上がやばい。主人公が嫁を貰うと世界がヤバイ。



以上DQVにおいて、勇者と嫁を排除したストーリーを考えてみる。

・主人公の父、パパスは妻マーサを探して旅をしている
・主人公はアルカパに行かない、ゲレゲレのいじめはスルーされる、レヌール城ではお化けが栄える、ゴールドオーブ放置
・ヘンリー誘拐、ゲマ達に父パパスを殺害される、主人公が拉致される

・主人公青年、サンタローズ地下で生前の父より「母は生きている」手紙を発見、母を捜す旅に出る
・カボチ、ゲレゲレはおらず、作物の被害も無い平和そのもの、寄る理由が無い
・サラボナ、結婚イベントは無い、ルドマンに有償で船を借りる
・イシス、寄らない
・チゾット、難なく通過
・グランバニア、俺ってば実は王様だった、ルドマンから船を買収、石化しない
・エルヘブンの情報を入手、向かう、魔法のじゅうたんゲット

・天空の塔、マグマの杖ゲット
・トロッコ洞窟、プサン救出、天空城浮上、レヌール城でゴールドオーブ入手
(妖精関連のイベントが不要 ⇒ 迷いの森で子供も不要)
・ボブルの塔でドラゴンオーブ入手、ゴンズ死亡、たぶんジャミもここで死亡、ついでにゲマ死亡
・大神殿、なんか教祖死亡、魔界から母の声

・童貞主人公「マスタードラゴン、俺は母親を探しに魔界へ行きます」
・魔界に行くのに指輪収集、ついでにブオーン倒してルドマンから「感謝ァ☆」
・魔界、母親死亡、ミルドラース死亡、エンディング

童貞主人公「虚しい、俺は一体何のために戦ったんだ・・・。いや世界は平和になった。これで良かったんだ・・・、これで」



虚しさがリアルすぎて嫌だ。嫁と子供がいて欲しい。報われない;;
人生とはまさにこうだ。DQVとはまさに人生のような作品だ。嫁と子供を抜いてもそれは変わらなかった。

【追記】
この記事を書くにあたってネットで面白い記述を発見した。
『VI以降の勇者は「努力次第で誰でもなれる」というテーマも込められており、 ドラクエの中で勇者という職業がそのヒエラルキーで上位に位置することは違いないが、 「たった1人しかなれないものではない」という解釈に落ち着いているようだ_(参照リンク)』
DQVの時点で『勇者』という概念はその役目を終えていたのかもしれない。
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