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ニコニコ・コモンズとかに思うこと

どこから手をつけたらいいのか判らない。
現行のシステムに対して問題点を指摘すればいいのか、それとも新しい可能性を求めて未来を模索するべきなのか。



ニコニコモンズ(以下、ニコモ)は、ライセンスということでニコニコユーザーが動画などの素材に使用の許可を得たものを共有するということが目的なんだろうと理解している。
(ニコニコ側の主張では”規約”であって、ライセンスではないらしい?)

ニコニコ側の主張は
「せっかくライセンスによってフリーになっている素材があっても、それを共有する場所がなく、存在を知られていなければせっかくの素材が死んでしまう。人々に認知されてこそ意味がある。ニコモはそのための”場”として機能させたい」
ということだったかと思う。

ここまではとても有意義だと思う。
問題は『コンテンツリー』というシステムによってこれに収益化モデルが組み込まれていることだ。
(この点において、まだ調べが足りない)



そもそも『ライセンス』とはなんだろうか?

いま、世界で創作が行われると、その瞬間に”著作権”が発生し、著作物はその国の法律によって保護される。
他にも”商標”や”特許権”などが登録によって、これと同等の保護を得られる。

”著作””商標””特許”
この3つの中で”著作権”が特殊な点は、登録などが不要で「自動的に著作権が発生する」点にある。

これは良い面もあるが、見方によっては悪い面もある。
特に著作物を保護するつもりがない場合でも、自動的に保護の対象となってしまう点だ。
この場合、自ら著作権を放棄するなりの表記を施さなければ、他の人はその著作物を自由に扱うことができない。
現行の著作権法では、このように保護において「無断での使用を禁止する」方向が強い。

もし私の著作物を使いたければ、利用者は私の元に許諾を求めなければならない。
このひと手間は意外と厄介だ。
もし拾い物の画像や音源だったら、作者が誰か判りづらいし、探すのも面倒だ(時間的なコストがかかる)。
そもそも他人の著作物を使うことは「禁止」されているのだから、使うこと自体にリスクがある。

そうなると使わないほうがコストがかからない。余計な心配をしなくて済むのだ。



これは著作物を保護するには役立つが、著作物をフリーダムに配信するには適していない。
そのため、これを許可するのが『ライセンス』とうことになる。

しかしライセンスに法的な権限は無い。
強制力はなく、あくまで著作者の「意思表示」ということになる。

こういった表記をする場合、あなたは「だったら著作権放棄とか勝手に書けばいいだろ」と思うかもしれない。

ニコモができる以前から 世 界 に は ”クリエイティブ・コモンズ(以下CC)”というものがあるが、これは表示することによって著作権をどの程度開放するかを意志表示させることができる。
ここで重要なのはCCは「世界基準」ということだ。

CC表記しておけばブラジル人でもアメリカ人でも、CCを知っている人間なら表記を理解することができる。
これは日本語で「著作権を放棄します(この場合はパブリックドメイン(PB)となる)」と記述するよりも、わかりやすい。

例え日本国内のみでも同じだろう。CCさえ表記してあれば、表示に乗っ取り許容された著作権の範囲で自由に公開や改変が行えるのだ。
日本の二次創作のように「黙認だから」とおびえることもない。
大手を振って二次創作できる場合もある。

東方などは典型だろう。CCに限らず「ライセンス」は自分で作ることができるので、どの程度、著作権を開放するか自分で決められる。CCの利点は個々の細かい規約ではなく、標準化されたシンプルなライセンスを簡単に付与できる点だ。
クリプトンも初音ミクなどのボカロは自社製品であるため、「ライセンス」を設けて二次創作に市場を一部、開放している。

ニコモは運営自身が何も権利を持っていないがライセンス(規約?ガイドライン?)の付与のみ行っている。そしてそれを収益化させている。
CCも自身は権利者ではないが、CCは営利団体ではなく収益化もしておらず、ライセンスもあくまで著作者自身の意思表示でしかない。



ニコモで問題なのはライセンスの付与などではなく、コンテンツリーによって、収益化モデルが為されて、それが悪用されていることだ。

これに似た試みはPIXIVの『投げ銭(過去に実装されて、現在は廃止されたポイント換金システム)』であるが、やはり不正の場となるのでストップした。

具体的には、他人の著作物を転載して、ポイントを稼ぐという行為が横行した。自分では創作を行わず、他人の著作物で利益を得ることができたのだ。
匿名で本人確認もないシステムでは、収益化モデルは運用できそうにない。(少なくとも現代は)

Paypalなどのサービスを使えば、よりスムーズに個人間取引も可能になるが、未成年の多いPIXIVやニコニコといったサービス(それも無料だからこそ使っているユーザーが多い場所)では、クレジットカードを必要とするサービスの使用は敷居が高い。



私たちは日頃から意識することなく著作権を侵している。
ネットで文章や画像をコピペしたり、違法にアップロードされた音楽や動画を利用している場合もある。

それは意識的に為されている場合もあれば、無意識に行われている場合もある。
書籍『Free』に面白い引用がある。

「学生寮に冷蔵庫を置き、その上に小銭を置き、冷蔵庫の中にはコーラを置いた。学生たちはコーラを無断で持ち去ったが、小銭には手をつけなかった。どちらも等しく窃盗であるのは違いないのだが、選択肢があるとき、人はより罪悪感の少ないほうを選ぶのだ」

動画サイトで違法動画を見るのはありでも、ファイル共有サイトからダウンロードはしない。
レンタルショップで借りたCDやDVDをコピーしても、万引きはしない。

これはシステムの裏をかいているといってもいいが、どちらも等しく権利を侵している。
(法に触れるかどうかはグレーだが)
もっと細かく言えば、友達の漫画やCDを借りるのも、本屋の立ち読みも、権利を侵している。

しかし私たちはそのことに無自覚だ。
なぜか?
理由は幾つかあるが、その最もたる例はアナログとデジタルの違いである。

「情報の窃盗ってのは盗んだものがなくならないんだから、確認のしようがない」

というのはアニメ攻殻機動隊でのセリフだが、まったくこのとおりのことが我々の日常では横行している。
アナログの窃盗は物品を実際に奪い取り、そこにあったはずのものを奪っているので罪悪感もあり、罪も具現化する。
だがデジタルコピーでは何もなくならない。我々は罪悪感のないまま窃盗行為を行える。

我々は現金を盗むよりも、コーラを飲むほう(罪悪感の少ないほう)を選ぶのだ。



だがここまでは「現行の価値観」であると言っておこう。
これまでCDやDVD、書籍などを流通してきた世代の人間であれば、こういった行為に嫌悪し、「著作権を侵している」と主張するだろう。
これは最もだし、私もそうだった。

しかしこれは物質化社会において有効な理論であって、先ほどのように「コピーしても減らない」デジタルの世界では理屈が通らない部分がある。
何か物がなくなったわけでも、情報が減ったわけでもない。

実際に減っているものは別にある。それは著作者の利益だ。(単純にCDの売り上げなどのみで考えた場合)
作家の冲方丁氏は、かつて自分の作品の著作権が侵されたときにこう述べている。

「著作権を侵害することによって、もっとも考慮すべきは権利者の報酬(著作者の正当な利益)が減ることだ」

もし、音楽ファイルが違法に流通し、CDの売り上げが減ったとしたら、それはアーティストにとって直ちに不利となるだろうか?
もしかしたらそれでファンが増えてライブの売り上げが上がるかもしれない。グッズを欲しがるファンや、あるいはアーティストの活動を支援するためにCDをきちんと買うファンがでてくるかもしれない。
(実際にこういった活動するアーティストは現代には少なくない)



アナログで本を盗まれた場合、その本を作成するためのコスト(印刷代+流通費用など)が回収できずに、不利益となる。
しかし、デジタルデータはこういったコストがほぼゼロである。

となると、この場合に起きる不利益とは、まさしく冲方丁氏の言うとおり、「著作者の正当な利益が減る」ことにある。

不正にコピーされても、それで失われる生産のコストは少ない。
しかし作家に報酬が入らなければ、作家は生活を維持できず、創作を続けることができなくなる。

現代のデジタルネイティブな世代は情報の窃盗に無自覚である。
何も減っていないのだから悪いことなどないと考えているかもしれないし、罪悪感はあるものの、それは現代の私たちがTumblrで画像や文章をリブログし続けることや、友人の家で漫画を読み、映画のDVDを見るぐらい無意識に(罪の意識はあるが気にならない程度に)行われているのかもしれない。

しかしその先に作家の生活があり、作家を直接支えることになるのであれば、幾ばくかの報酬を出すことに躊躇いはないかもしれない。
あるいは今は払えなくても将来、働くようになったら優良な顧客になってくれるかもしれない。
(そのまま無料のファンを続ける場合も多分にある)

”直接”と言ったが、現代のビジネスモデルでは作家と顧客がダイレクトに繋がれる市場がある。
直に作家に報酬が渡るならば、喜んで支払いをしてくれるファンは多いだろう。(そう信じたい)
だが、そこに大きな中間搾取が入ると、ファンは途端にしらける。
(誇大な宣伝だけをして、要らないものを売りつけるような創造性のない企業に金は払いたくない)



著作権侵害の問題に関する新しい解決方法はいくつかあるが、それは『Free』を読んだほうが早い。
ここでは改めてニコニコモンズにこの問題を当てはめていきたい。

さきほども言ったように、今の世代はデジタルデータの扱いについてほぼ無自覚だ。
これはもはや善悪の問題ではなく、これまでの価値観がまさに変わろうとしているのだ。

パッケージされた「商品を売る」という行為は、物質社会において有効なことであって、情報社会ではあまり意味がない。
となると消費者は何にお金を払うのか?
作家の活動を支えるためであったり、無料のダウンロード版よりも高品質なものを求めるためかもしれない。

だが「製品を買う」必要がないときに、どうやってビジネスを成立させたらいいのだろうか。



たまに私はおかしいな、と思うことがある。
私は映画や音楽が好きでCDやDVDをたくさん持っている。

最近はiPhoneを買ったので、外出先でも映画を楽しんだりすることができる。
iTunesで映画を買うことができるし、DVDからデータを移すこともできる。

ここで問題にしたいのは、私はDVDを買うことでその映画(そのDVDデータ)の所有権を有している。
しかしもしiTunesでデータ版の映画を入手しようと思ったら、再びデータ版を購入しなくてはならない。

この場合、問題になるのは『所有権』なので、買いなおすことは必然なのだが、私が所有している映画の映像を違法なアップロードサイトで見た場合に、これは違法行為になるのだろうか?
おそらく現行の法では違法になるのではないだろうか。(私はそのDVDを持っているのに!)

これについて、次の例で解決することができるかもしれない。



ここで、これまで語ってきた”ライセンス”とは少し別の”ライセンス”の話をしてみたい。
ソフトウェアのライセンスだ。

Adobeなどに代表される幾つかのソフトウェアは、ソフトウェア自体は無料で配られている。
PhotoshopやPainterは、メーカーのサイトからフリーダンロードすることができる。
インストールして起動すれば、体験版として試用することもできる。

試用期間が過ぎると、製品版のライセンスを買ってくれとメッセージが出て使えなくなるが、
ライセンスを購入して、シリアルナンバーやIDを入力すれば、再び使用できるようになる。(今度は製品版として自由に使用できるようになる)

このとき、ソフトウェア自体は何も変わっていない。ライセンスを持たない場合、使用期限や機能に制限があるだけだ。
ライセンスを買って初めて、正当な使用者としての権限を持つことができる。(そしてソフトウェアを自由に使えるようになる)

買っているのは『ライセンス』であって、『ソフトウェア』ではないのだ。

パッケージ化された製品を買うとインストール用のDVD-ROMなどが付属されており、「ソフトウェアを買った」という気分になるが、ソフトウェア自体はWEBで無料で配布されている。
実際に何万円も出して買っているのは正当な権利者として『使用許諾』を得るためのライセンス(ケースにシールで貼られていたりするただの数字)なのだ。

最近は映画のDVDやBDを買うと『ダウンロードコード』というものが同梱されている。
DVDを買えば、そのコードで無料でiTunesなどからデータ版を入手できるのだ。(情報の登録などは必要になるが)
このように「ライセンス」によって、許諾が得られれば、我々は同じデータを何度も購入しなくて済むようになる。



ソフトウェアと画像(音楽・文章)では著作権法の適用範囲が異なるだろうが、「守る(禁止する)著作権法」を前提として、「許諾(開放する)ライセンス」を販売・配布するというのは有効なモデルだと思う。

有料に限らず、CCのような許諾のライセンス表示は、非常にアクティブであり、認知が高まればより公的なものへと人々の評価は変わっていくだろう。



「同人と同じだろ」
この言い訳をしたアーティストはまだ記憶に新しいが、現代のユーザーは(デジタルネイティブに限らず)、二次創作は『フリー』だと思っている人間が少なくない。

当たり前のようにファンアートが横行し、コミケで販売(古きよき言い方で”頒布”)される。
同人誌即売会という特殊な場でこそ黙認(それでも公認ではない)されていた二次創作は、いまではDLマーケットで常に販売されている。

「黙認」とはかつて日本の”美徳()”であったが、そもそも現代において”黙認”などということをする必要があるだろうか?
合衆国法にあるフェアユースのように、著しく利益を阻害しない無償の活動であればファンアートを許容したり、
東方やクリプトンのようにライセンスを設けて、公式に市場に開放すればいいのではないかと思う。
CCですべての商業作品の市場開放は難しいだろうが、自社でライセンスを作成することは可能だ。

(フィギュアのワンフェスでは、その場・そのときに限り、公式に二次創作の販売を認めるものがある。もちろん正式な申し込みが必要になるが、同人誌のように基準の曖昧な”黙認”ではない)



これまで『著作権法』というものは、「禁止」の文化だった。
そしていま、それは日本の同人業界で機能しているだろうか? むしろ「暗黙」「黙認」が「自由」「公認」と勝手に受け取られ、制限なくやりたい放題にされている。

きちんとした活動をしたい良識あるファンが著作権法のために怯えて、心無い無法者が他人の著作物で利益を貪る。
公式がきちんとライセンスさえ付与すれば、二次創作で利益を得ることでさえ不当ではなくなるのだ。
『頒布』などという言い方をしなくても、公に『販売』できる場合もある。



デジタルによって価値観の変わったこの時代に、著作権法という石のように動かないものをどうこう言うのは、もはや期待はずれなのではないだろうか。
それよりもクリエイターは積極的に『ライセンス』というものを利用していくべきなのではないだろうか?

CCには「非営利目的に限る」という項目がある。
これを使えば「営利目的での利用」は明確にライセンス違反であるし、著作者の意志に反する。
「黙認」だの「グレー」だの「同人と同じだろ」なんて言い訳はできなくなるのではないだろうか?
(件の例は、そもそも二次創作だったのが権利を主張できなかった問題ではあるが)

CC(クリエイティブ・コモンズ)に関しては、『デジタル時代の著作権』という著書が優れている。
勉強したい方は一読を薦める。



最後に、この記事は完成されたものではない。
それは推敲の余地があるということではなく、ここで述べられたことがすべての真実ではないということだ。
ひとつの問題でも、別の角度から見れば、異なった意見も出てくる。

良いと書いたことも、悪い面を含んでいる。
『絶対』ではないということは改めて意識しておいてもらいたい。



《参考書籍》
デジタル時代の著作権 (ちくま新書)デジタル時代の著作権 (ちくま新書)
(2010/10/07)
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《参考リンク》
クリエイティブ・コモンズ・ジャパン
http://creativecommons.jp/
ニコニ・コモンズに関する情報まとめ
http://togetter.com/li/245277
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