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盗用を正当化するための超人思想

ヒトラーはニーチェの超人思想を独自に解釈したとされている。そこからあの歴史的な戦争や事件の数々が引き起こされたのであれば、ニーチェの超人思想がヒトラーの行為の正当化に使われたことを仮定できる。
どのような人間でもあらゆる理論を自己正当化のために使うことがある。それはこの私自身も。そこから客観性を加味して、その主張や思想が正当であるかを冷静に判断することが常人には必要とされる。

「自分は特別な人間である」という錯覚や妄想、あるいは事実は、その優劣を問わずにあらゆる行為の免罪符となりえる。昨今、取り沙汰されるトレパク騒動に関しても「作家(絵師)である」ということが、超人思想として免罪符に使われているのではないかと推測している。
作品を生み出すという行為が特別なものと見られ、そのために「過ち」を冒すことは許される行為だと考えているのではないだろうか。「作家(絵師)」などの人を楽しませる者は「超人」であり、「人とは違う行為が許される」と。

そんな独自の「超人思想」を抱いた者は、「俺は超人だ、普通のやつとは違う。他者に娯楽を与えるためだ。これは許される行為だ」と他者の作品を盗用しても、自己の正当化を図るのではないか。
これは客観的に見た場合には、何の説得力もない論理・思想である。そのために盗用の事実が咎められたときに、これを言い訳にしても周囲には横暴な理由であるとしか受け取られない。しかし超人思想を抱いた本人にとってはそれが全てで、そのために他の法や倫理を破っても放棄しても構わないと考えているのである。このような独自思想は自身の中でしか完結しない。広く公平なルールが敷かれた社会や組織では、独自思想を外に出してもそれに同調が得られることは少ない。

このような独自思想が延長するとヒトラーのような過ちが起こされるものと考えられる。これは歴史上の様々な事件に該当する。
そしてこれは「超人思想」を批判する者にも当てはまる。「過った超人思想をもった者を粛正するためだ」という論理や思想を免罪符とした行動も、また同様に「独自の超人思想」に基づいた、過った行為となりえることを危険視しなければならない。極端によればどちらでも暴論となりえるのである。

重要なのは心やルールのバランスであり、それを持った自己をコントロールすることである。そのために客観的な視点は常に必要である。何かを行うために主義や思想は必要なよりどころとなる。しかしそこに寄りすぎてもいけない。そのために強さが必要なことも、ときに自分をたしなめてくれる友人や家族が必要なときもある。もし一人でこの怪物と戦うことになるであれば、多くの失敗と経験を必要とすることだろう。だが結局は、失敗から救われるとき、人は自分が一人ではないことを知ることになる。

それがなされずに失敗から救われない者は、本当に一人きりで孤独な者なのかもしれない。
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