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無断転載と二次創作の同罪論

結論から述べれば現行の日本での著作権法においては「無断転載」も「二次創作」も著作権侵害となりうる行為である。

著作権侵害は「親告罪」という体系から違法となりうる行為が行われた時点で即時法律違反として処罰されることは無い。あくまでも権利者の判断が優先される側面を持つ。著作権侵害は犯罪が成立するための要件(犯罪成立要件*1)が揃った上で、著作権者が起訴してはじめて罪となり得る。さらには法廷で判決を言い渡されるまでは「推定無罪*2」という状態であるともいえる。

*1 犯罪成立要件: 犯罪であると認めるためにクリアする条件。容疑者の責任能力なども含まれる。
*2 推定無罪: いかなる者であっても、判決を言い渡されるまでは無罪である可能性を考慮するもの。



著作権という権利は「著作権」という一つの権利ではなく、いくつかの権利に分類される。「著作権」という呼称はあくまで総称に過ぎない。

この中で無断転載が侵害する恐れがあるのは、「複製権」と「公衆送信権」と呼ばれるものが挙げられる。ケースによってはさらに別の権利侵害が起きることも予測される。
「複製権」とは元の著作物を無断で複製する行為などがそれに当たる。転載するにあたってデータを複製する行為がそれに当たる。これはデジタルデータのコピーのみならず、アナログの絵画をデジタルデータとしてスキャンした場合や写真に収めた場合なども同様である。

著作権法上における複製の正確な定義は「著作物に定義されるものの特徴を直接感得できるもの」とあり、元の著作物に「依拠・類似」している点が認められるか、という部分が争点となる。
この点においてパソコンなどのデジタル機器で行われる著作物の複製はデジタルデータの特性として、ほぼ100%完全にコピー(複製)が行われることで、複製の定義を充分に満たしうる行為だといえる。

次に著作権の制限規定として「私的使用のための複製」というものがある。これは個人や家族など狭い範囲での使用に限り、複製や公開を認めるという制限規定である。例えば父親が買ってきたDVDを家族で見ることは法的には適法(合法)的な行為である。しかしこれが友人やその他の人間などに広く適用させると制限規定範囲外として処罰の対象となりうる。私的使用のための複製とは、あくまでごく狭い範囲に限られたものだといえる。

ここで勘違いしがちなのは「個人で使用しているから問題ない」とインターネット上に著作物の複製(データ)をアップロードしてしまう行為である。これは「私的使用」とは認められない。
それは何故か?
インターネット上は世界中から多くの人間がアクセスできる。アップロードされたデータを見たりダウンロードすることができる。そのためネットにアップロードされたデータは「誰からでも利用できる可能性」があるのだ。例えばスキャンした漫画の全ページをネットにアップロードしたら、それを誰かがダウンロードするかもしれないし、不特定多数に公開している状態になるから違法アップロードになる。

ここでどれだけ「個人で利用するつもりだった」と言っても法的な違法性は阻却されない。あるいはSNSや暗唱キーで鑑賞が限られた場所で公開しても同義である。日本の著作権法の定義では個人で使うクラウドストレージサービスでさえ違法となりうる。(明確にはクラウドストレージサービスも「複数人が使う可能性」は否定できないため)

これらネット上での情報の公開を制限するのが「公衆送信権」である。簡単に説明すると著作物を公開するか、しないかということも本来は著作権者の意志が尊重され、独占的にその権利を有している。利用者がネットに複製データをアップロードする行為は、この公衆送信権(あるいは公表権)などの権利侵害行為となりうる。



ここまで法的な違法性を指摘してきた。これらを実行していた場合には犯罪成立要件を満たしたことになる。それはもはや「無実」とはならない。しかしまだ罪が確定するわけではない。さらに著作権者が親告罪を行使し、法廷で判決されてはじめて罪が確定する。侵害行為のみでは罪への段階に過ぎない。

しかし注意してもらいたいのは上述したとおり、すでに「無実」ではないということである。行動に対して責任を負う立場になる。そして「推定無罪」とはいえ、事実がある以上は「有罪になる可能性」も充分にある状態におかれる。
このとき権利者の意向や裁判の判決が明らかでない状態で「無罪」とすることはできない。あくまでも「推定」無罪にしかならない。
「訴えられるまでは無罪」「捕まるまでは無罪」といった言い訳めいた言葉を目にすることもあるが、罪となり得る行動を起こした時点で必要な判断が下るまで明確な「無罪」はない。このことを意識しておいてもらいたい。いつでも罪になる可能性があるのだ。

逆に言えば「有罪」でもない。しかし行動を起こしたからにはすでに「無実」ではないし、そのことによって生じる責任から言及や指摘を退けることはできない。



このことは無断転載だけでなく、二次創作にもいえることである。

二次創作は著作権法における「同一性保持権」「翻案権」などの侵害が予測される。同一性保持権とは、著作物の同一性を保つためのもので、例えば本来「ABCD」であるものを「ACD」のように改変を加えて利用したら権利侵害となりうる行為である。

著作権の制限規定には「公正利用」というものがある。公共施設などにおいて著作物の利用を認めるものである。一般的にも「引用」などにより、著作権者の許諾無く著作物を利用できる規定がある。
これら公正利用のために利用者はいくつか義務を守る必要がある。このときに「同一性の保持」などが必要となる。例えば「明日の天気は雨だ」という文章を引用したとする。これを「明日の天気は晴れだ」と引用した場合には、改変となるため公正利用だと認められない。「同一性保持権」はこういった点で活躍する。

さて、では二次創作であった場合にはどうか。無断転載のように元の著作物を複製し、その複製画像をコラージュのように改変を加えたのであれば簡単に同一性保持権の侵害を指摘できるだろう。しかし、二次創作が独自の解釈で作り上げられていた場合にはどうだろうか?
イラストや漫画が独自に作られていた場合には元の著作物を用いていないために「同一性」がそもそも存在しない。二次創作者の手で作られたまったく別の創作であり著作物となる。(二次創作であっても「著作物の定義」に該当すれば一次著作物に基づく二次的な著作権が発生するため、「二次創作であるから著作権が無い」という事実はあり得ない)

ここで登場するのが「翻案権」である。翻案とは著作物の「内容」を守るための権利である。例えば小説が映画になったときに基の文学とは全く違った作品になっていることが解る。このとき小説の著作権は映画に及ばないのだろうか?
答えはNO、小説の著作権も映画に含まれる。それどころか、この場合には小説は「一次著作物」という定義になり、映画は「二次的著作物」という定義になって、権利体系的に原作(一次著作物)である小説の方が立場が強くなる。

著作物は形を変えても、独自の著作物としての定義、その特徴が感得できる態様にあっては、一次著作物の権利が及ぶものとなる。
このことから二次創作が全く別に作られたもので、単純な複製でないとしても、例えば「主人公A、ヒロインB、世界設定C、ストーリーD」といった作品の基盤を共有するものは「翻案権」の及ぶところとなり、無断でこれを利用すれば「翻案権の侵害」となりうるのである。

先に挙げた「同一性保持権」でも、元の著作物を直接利用せずに別に制作したとしても、元の著作物の(内的な)特徴を直接感得できる態様にあって、「依拠・類似」が認められる場合には侵害対象となりうる。
このことは二次創作同人誌が実際に法的に違法とされる事例が認められることからも窺い知ることができる。



「無断転載」と「二次創作」の2点で実際に事件となる例を挙げてみよう。

無断転載は平たく言うと違法アップロードや、海賊版と呼ばれるような違法な複製にあたる。この点で数えきれないほどの事例や判例があることは理解できるだろう。事件としてニュースになることもあるし、映画館で奇妙なダンスをしながら「違法アップロード・違法ダウンロード」についての注意が流れたりもする。実例は挙げてもきりがない。

二次創作では芸術方面において「パロディ事件(マッドアマノ事件)」などで判決が出ているほかに、二次創作同人誌ではKONAMIや任天堂といったメーカーから起訴されて有罪となっている判例や、刑事事件となった事例もある。(「ときめきメモリアル・アダルトアニメ映画化事件」「ポケモン同人誌事件」)
他に判決を待たずに示談で解決したものでも「ドラえもん最終話同人誌問題」などが代表例として取り上げられる。

これらを見ても双方に違法性があり、実際に処罰の対象となりうるのは明らかな事実である。
この点で「どっちもどっち」や「同罪論」は認められるといえる。ただ、ここまで記してきたように侵害の要素が異なる点や創作性の有無など、お互いに相違が見られる点にも注視したい。



法的な違法性は互いにあるとしても、出版社などは無断転載(違法アップロード)に関しては厳しく対処する反面、二次創作に関してはファンアート・ファン活動して頒布を認めている側面がある。

解りやすい例が雑誌や単行本の「読者コーナー」である。こういったものには読者からキャラクターのイラストが描かれていることが多い。だが出版社がそれを「著作権侵害」として訴えることは無いだろう。実際に何の保証もされていないのであれば、出版社に違法性のある物を送って平気でいるというのは正気とは思えない行動である。だがこのことに疑問を抱くようなものはいないし、実際に積極的に処罰しようという出版社もない。

こういった事実から二次創作はある程度の範囲でファンアートとして認知され看過されている状況にあるといえる。しかしそれでも上述したような「ポケモン同人誌事件」などが起きてしまうのは何故なのか?
これはファンアートとして権利者が許容できる範囲を超えてしまったために、対応せざるを得なくなった結果だといえる。「ドラえもん最終話同人誌騒動」も出版社に問い合わせが殺到するなど、原作に影響を及ぼすレベルになり、権利者側も無視できない状態になることで対応をやむなくされると推察されている。
こういったことは「不正競争防止法」などで近年は取り扱われるが、模倣商品などがオリジナルの商品や市場に影響を与えると判断された場合には処罰の対象として、回収や取下げ、賠償金の請求などが行える。

このようなことは二次創作者も本来は望んでいない場合がある。もちろん「頒布(配布)」という建前はあれど、同人誌は売れれば利益がある。そのために大量に売りさばき問題となることも少なくない。この場合は自業自得だといえよう。しかしコミックマーケットなどでごく少数だけを頒布したものが、無断転載などで違法アップロードされることで問題として表面化する可能性も否定できない。こうなっては二次創作者の意図しないところで取り締まりの対象とされてしまうことが憂慮される。(こういった点でも無断転載に対して批判的な二次創作者もいる)



では無断転載に対しては二次創作のような「ファン活動」としての意義は認められないのだろうか?

これも場合によっては充分に認められるものだろう。アイコンや壁紙を使用することで作品のファンを見つけることができるし、内容について語り合うにはキャプチャ画像が有効なこともある。これらは二次創作のように創作性は無いにしてもファン活動として認められる。
ただし、「二次利用」と「二次創作」については意識しておかねばならない。どちらかといえば著作物をそのまま用いることの多い「二次利用」の方が締め付けが厳しいのが現状だといえる。

今はゲームの「実況動画」というものがあるが、アクションゲームなどに比べてノベルゲーなどは見ているだけでも充分にゲーム内容を楽しめる。これでは実際にゲームをプレイする必要性が失われる。これを「ファン活動」といえるだろうか? 疑問である。
これに対して二次創作はあくまでも原作に対して二次的に創作されるもので、二次創作を読んだり見たりしても「一次著作物を見なくなる」ということは、二次利用に比べて低いだろう。むしろ逆に興味がわいたり、コミュニティに参加するために積極的に一次著作物を見ることが多くなると予測される。
もちろん実況動画もアクションゲームなどは動画を見ることで興味が湧いてプレイによって体感したくなることもあるだろう。しかし先程述べた通りノベルゲームなどの場合はケースバイケースだ。

このような一次著作物への影響を考えた場合に「商業的な影響が無ければ問題が無い」という意見を目にすることがある。先の二次創作同人誌事件のように、実際に商業(オリジナル・一次著作物)に影響を与えるかどうかという点よりも、さらに視野を狭めた「金になっていないから問題ない」という単純な意見である。

これも誤った認識だと予め否定しておこう。
「商行為でなければ問題ない」といった意見は違法アップロードの大半を持って否定できる。違法アップロードの多くは無償でダウンロードできる。これが問題ない行為だろうか?
そんなことあるわけがない。実際に逮捕者は出ているし、集英社のウェブサイトには違法アップロードに対して否定的な声明を見ることができる。「金になってないから」は何の論拠にもならない。それどころか自らの身を滅ぼしかねない危険な考え方だ。これは二次創作同人誌の「頒布」も建前にすぎないという指摘にもなる。ただそれを権利者がどのように受け取るか、という点が重要である。

【2013.02.15(金) AM_02:41 後日、追記予定】


【加筆ここから】


著作物は「思想や感情を表したもの」と定義されている。そしてそれが個人、あるいは団体の意志であり、人権に基づき尊重されるべきだとされている。この点で著作権法では「人格権」と呼ばれる権利と、俗に「財産権」と呼ばれる権利に分けられる。

財産権は他人に譲渡も可能だが、人格権は譲渡できない。それは著作者本人の人格に基づくものだからである。このことからも著作権が個人の人権に基づいた面を持っているということがわかる。これを前提に他人の著作物を勝手に扱うとはどういうことなのか再考してもらいたい。

先ほども述べたが著作物とは「思想や感情を表したもの」である。ひとりの人間が意志を持って成したものである。その思想や感情を本人の意図しない形で、意図しない場所で勝手に利用される、あるいは利用するということはどういうことなのか。ひとりの人間の意志を、その尊厳や存在をまったく無視していると言えるのである。

このように人の意志をまったく尊重しない状況は二次創作や無断転載の同罪論を唱える上でも欠かせないものだ。だが問題は商価値に終始しやすい。このことは現代の問題のひとつだと私は認識している。著作権法が商的な財産権として運用されることが主となり、人格権は面倒なだけの余計な権利と成り果てているのが現状だ。(契約などで譲渡できない人格権は商業的には厄介な存在になっている)

社会的に人格権への尊重が低いのであれば、世間がそれに価値を見出せなくなる現状も否定できない。そのためか「商価値が無いのだから」という理由で「このぐらいいだろう」「いちいち怒ることではない」と言って著作者本人の申し出さえ無視されたりあしらわれたりする有様だ。



Twitter上の「パクツイ」と呼ばれる盗用行為は特にこういった主張が顕著である。パクツイは主に「無断転載」に分類されるが、元のツイートの内容をRT(リツイート)という公式の機能ではなく、非公式にコピペして転載する行為である。もちろん元のツイートの作者の許諾を得ていなければ無断利用となりうる。

ツイートは140文字という短さから「著作物に定義されない」という主張を見るが、そもそも5・7・5からなる俳句や短歌にも著作物性は認められるため、140文字であるから権利が発生しないということはない。もちろん著作物性が認められないこともあるが、全てがそうだとは言えない。

また他にも「ネット上に広く公開しているのだから無断利用はされて当たり前」という意見を見ることもある。これこそ前述したように、個人の人権をまったく無視した意見である。ひとつの意志や感情が個人の人格の則ったものであるなら、その発信者である本人の存在を無視することはできない。著作者本人の存在があって初めて著作物性が発揮されるといえる。
あるいは個人の意志を尊重すれば、意見を出した人間は他の場所でそれが公表されることを望んでいないかもしれない。だがそんなことはお構いなしに転載される。だとしたら我々に与えられた権利は一体なにを保証しているというのか。その権利のために我々はなぜ義務を守っているのか。まっとうに生きるのが馬鹿馬鹿しくさえ感じられる瞬間である。



著作権は作成とともに自動的に権利が発生するために、権利者は非常に受動的で受け身であることが指摘できる。自ら積極的に権利を行使しようとは思わないし、解放したりもしない。そのあたりが利用者に煩わしさを感じさせていることも考えられる。

そのためか「自分の権利は自分で守れ」というような能動的に権利を行使しろという意見も見られる。つまり無断転載などに対して積極的に法的な権利を行使すべきだというのである。それができないのなら文句を言う資格も無い。しかしそもそも無断利用するという問題行為に対して何故、被害者側で様々な負担をしなければならないのか。ともかく無断転載などは「やったもの勝ち」なのが現状である。



このような指摘をする際に「お前だって違法動画を見たことあるだろ」や「無断転載したことあるだろ」、そして「二次創作しているんだから、無断転載と同罪だろう」という意見を見ることになる。
なるほどどちらも現行の著作権法には違反する。だがそのふたつの性質には違いがあることや、企業が扱いを異ならせていることなどは上述してきた通りだ。同じだが、正確には同じではない。それと同時に無断転載も二次創作もファン活動として認められる側面も持っていると記してきた。

しかし同罪論を唱えたところで指摘されている違法性が消えることは無い。結局のところ「同罪論」は相手を黙らせるための論でしかなく、ただの詭弁に過ぎない。自分のやっていることは何一つ正当化されないのだ。それどころか「悪いことをしている」という自意識の証明でもある。
無断転載を注意されると「そんなに悪いことだとは思わなかった。反省している」と態度を改める者もいる。これは過失からなる更正であるが、同罪論を唱える人間は「俺は悪いことをしている、でもお前もな」と、違法性をそもそも認めていることになる。改める気がない故意犯だといえる。

あるいは確信犯的に「悪いとは解っているが、こうして無断利用することで世界を変える」という思想を述べるものもいる。それは結構なことだが、それならば他人の著作物を無断使用せずに、自分の著作物をパブリックドメインやライセンス付与で公開するなどの活動をすればいいのだが、と思う。



二次創作に偏った意見を持っていると思われるかもしれないが、無断転載は「シェア機能(ツイートボタンやいいね!ボタン)」による合法的な代替手段が登場しているが、二次創作はまだそういったものが存在していないし、そもそも個人によって差のある創作というものに関しては共通の代替手段が考案されにくい。ここでも無断転載と二次創作では差異がある。


最近では企業が利用規約を設けて二次創作や転載を許可していることも増えてきている。東方やピアプロである。しかしそれも「利用規約を読まない」といったことが頻発しては問題になっている。先日もMMD(ミクミクダンスという3Dソフト)などで無断改変などが問題となった。
このことに関して「利用規約をなぜ守れないのか」という疑問が投げかけられ、それに対して(もはややはりというか)「公開した以上は無断利用や改変されることも考慮するべき」といった意見を見た。続けて「利用規約など設けても面倒なだけで読まない人間も確実にいる。やるだけ無駄」といった意見さえ見られた。

どうにも肯定し難い意見ではあるが、まったくの暴論とも言えない。実際にそういう人間が少なくない数存在しているのを目の当たりにすると何ともやりきれない気持ちになる。そういった利用者の存在を前提に考えなければならないとは…。



こういった流れから著作権法などを更に強めて「規制」していこうという動きを見ることもできる。著作権法の非親告罪化などがそれにあたる。私はもはやそれに反対できない。例えそれで許諾の無い二次創作や無断転載が一切処罰の対象となったとしても、もうそれでいいとさえ思っている。もう私はこの世界に希望を抱いてはいない。


※この内容は、先のDRMの記事と併せて「無断転載とセキュリティ」に後日まとめる予定です。
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