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権利の解放や規約、その意義

昨今『TPP導入にける著作権法の非親告罪化』や『コンテンツ流通促進シンポジウム』などで話題に挙がることも多くなってきた「コンテンツの利用許諾」を事前に、あるいは範囲的に著作者が第三者に対して認める方法論。赤松健氏の独自ライセンスなどがそれに当たる。それと同時に文化庁としては公式クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(以下CCL)の導入を進める方向で動いている。

著作物やコンテンツの二次利用(転載や創作)を認めるにあたっては、このようにライセンスによって利用の承諾を予め明示しておく必要がある。その内容のひとつとして広く知られるものに『利用規約』がある。
利用規約は主に「利用」「制限」「免責」の3つからなる。

・「利用」
どの対象を、どれぐらい利用可能にするかを示す。(例えば「作品Aの利用を認める」といった表記)
対象において著作権など諸々の権利を行使しないといった意志も明示する。

・「制限」
利用に対して制限を設ける。(例えば「作品Aはいいが、作品Bの使用は認めない」といった表記)

・「免責」
権利者の責任を免れる行為を予め明示しておく。(例えば「直接利用されたコンテンツ内容以外の、利用行為においては責任を負わない」といった表記)



こういった表記はコンピューターソフトウェアの世界で汎用的に用いられている。フリーウェアなどでも「お読みください」「Readme」といった利用規約が設けられていることは一般的である。
「ピアプロライセンス」や「東方利用規約(上海アリス幻樂団創作物の二次創作・利用関連)」など、コンテンツにおいてもこういった利用規約を設けるところは増えてきている。

著作権法の観点では、コンピュータープログラムもコンテンツと同様に著作物として定義されうる。そのため、これまで「情報社会」と「物質社会」という隔たりこそあったものの、無体物として歩みを始めたプログラムに対して、有体物として歩みを始めていたコンテンツが、データという無体物になって情報社会へと歩み寄りを始めたといえる。

もちろん有体物であっても利用規約は定められていたが、利用者の意識としては異なる点がある。

例えば本屋に入店し、本を万引きすれば窃盗になる。このことは「本」という物質に基づいて定義される。
では立ち読みして情報のみを持ち去った場合にはどうか? おそらくこの「情報の窃盗」に罪の意識を感じる現代人は少ないだろう。本屋の例は、携帯電話にカメラがついたときに一時期問題視された。カメラで本の内容を撮ってしまう客が目についたためである。だがこの問題はいまだ解決されていない。

このような「情報」という無体物への窃盗や無断利用に関して罪の意識が働きにくいのが物質社会という構造の中で育ってきた人間の一つの特徴である。「物質を盗まなければ、情報は無料」という認識は無意識に行われることが少なくない。情報の窃盗や無断利用を行う者は(どことなく悪いことだとは思いつつも)罪の意識をほとんど持っていないのである。(例えば、デザイナーに対して無料でデザインを要求する会社や行政など)
情報に価値が無い、とは思っていないだろう。だが、それを利用するにあたっては意識が低いのが現状である。



コンピュータープログラムは絵画や楽譜などの著作物と異なりそもそも無体物であるために、ネットで配布されるフリーウェアなどは不遇の時代を歩んできたといえる。商的なゲームやOSなどはパッケージ化して有体物として売られてきたが、それもインターネットの進化とともにデータという無体物に戻りつつある。

さて、同様にこれまで有体物であった本や音楽といったコンテンツも今では次第にデータ化され、無体物としてネットで流通されつつある現代において一体何が利用者を制限することになるのだろうか?
有体物であれば物理的な限界においてその利用は制限される。例えば日本で買った漫画や小説は即座に地球の裏側には持ち込めないし、一冊の本を大量にコピーするには相当な手間がかかる。このように物質社会においては物理的な限界が利用者に働くために、コンテンツホルダーの大きな損害を未然に防いでいたといえる。

しかしインターネットを基盤とした情報社会では物理的な限界は覆される。日本のコンテンツは即座に世界中に送られ、一瞬で大量のコピーが行われる。印刷機など専門の機器は必要なく、パソコンの中でコピー&ペーストすれば複製が完了する。
「情報(データ)」というものへの窃盗に意識の低い現代において、何が利用者を制限するのか。どのように利用者を制限すればいいのか。非常に難しい問題である。



工業化が進み産業革命が起きる頃、本を印刷する輪転機も発明された。これにより本を巡る市場は劇的に変化したといえる。それまで本は複写や版画といった方法で作られていたが、それよりも早く大量に生産することが可能になったのである。

このように新しい技術はときに市場を、世界を変える。それはインターネットが発展した現代も同様で、我々はいま歴史的な進化の壁に突き当たっているといえるだろう。だがもし100年後にこの問題を見たら、我々が輪転機を相手に何も思わないように、さしたる問題だと思わなくなっていることだろう。あるいは「昔の人間はまるで子供のようだ」と思うかもしれない。かつては大きな問題であったものが、今は何故こんなにも当たり前に機能しているのだろうか。

技術の進歩、法の整備、色々あるが人々の認識が変わることも重要な要素である。まずは技術や法が先行していくことになるだろう。そのことに対して古い時代を知る人間は「昔はこんなことはなかったのに」と嘆くことだろう。だが新しい世代がそのことに疑問を抱くことはない。彼らにとっては生まれたときからそれが当たり前のことなのである。そうして時代は徐々に移り変わっていく。

これまで戦後の日本でいわゆる『同人誌』という文化は、その規模や態様から法に問われることはなかった。だが昨今は二次創作という市場が巨大化し、企業にとって少なからず影響力をもつようになっている。それは良い意味もあり、悪い意味も持つ。多くのファン達が集う場をビジネスとして利用する企業もあれば、自社の製品イメージを低下させるものだとして二次創作に対して否定的な企業もある。
こういった時代背景を後押しするように著作物の海賊版や違法配信の一般化に対して、より強い規制が敷かれるようになってきている。そして二次創作もその影響を受けるであろうことが憂慮されている。



これに対し、冒頭で紹介したような著作物のライセンスを著作者自身が積極的に設けることで、著作権の非親告罪化などから二次創作を守るために対応していこうという流れがある。もちろん企業によっては取り締まり強化を望むところもあるであろうから、こういった運動に対して積極的でないところもあるだろう。だがライセンスの付与は業界全体が統一される必要はなく、権利者個々人が設置できるものであるため自由度は高い。参加をするもしないも権利者の意志にゆだねられる。
雑誌に掲載される作品など複数人が関わる状況下にあっては、雑誌社によって権利者から事前の相談や契約が欲しいところかもしれない。

実際に先行的な例として『クリプトン/初音ミク』『ZUN/東方』『佐藤秀峰/ブラックジャックによろしく』の二次利用などが挙げられる。他にも『アリスソフト』などもコンテンツの二次利用に関する規約を設けて、利用を推奨している。

特に佐藤秀峰氏の『ブラックジャックによろしく』二次利用に関する利用規約は冒頭で挙げた例に近い形態であり、他と比較してシンプルなものになっている。こういった利用を解放することで佐藤氏は利益を上げていることも報告している。だが中には「利用規約に書かれた以外の利用について」メールで事後承諾されたり、「返事がない場合は承諾したものとみなす」といった権利を無視した報告もある。
さらに批判的な意見として「もとは出版社の宣伝や売込みがあってこその知名度や人気なのに、今度は個人で利益をあげるなどけしからん」といった声もある。それも最もではあるが方法として間違っているわけではないし、日本では作品の著作権は作者に既存することが多いため、こういった態様が増えることは予測される。

同様に赤松健氏の運営する『Jコミ』などは、絶版となった作品の掲載場所として作家にも読者にも求められている。ただ利益化についてはまだ難しいところがあるかもしれない。特に作品を掲載している作家にとって、それで生活できるほどの収入があるかどうかは厳しいところである。
佐藤秀峰氏の例も目新しさや著者の知名度によるところが大きいといって過言ではない。これが一般的なものとして定着すれば「目新しさ」だけでは選ばれなくなり、純粋な市場競争が始まる。そうなればなったで健全であるといえるだろう。ただそのときにはより大きな組織や媒体が影響力を持つようになり、資本主義社会らしい形が築かれることになるだろう。



ここで初音ミクや東方といったコンテンツと、ブラよろの利用規約の違いを述べるならば、前者は著作物を直接に「二次利用」する行為に関しては制限があり、あくまでも「二次創作」と奨励するものとなっている点である。つまり著作権における「翻案権」のみを解放する意味合いが強く「複製権」などの行使は認めていない。
これに対してブラよろの方はコンテンツそのものの二次利用(複製権などの行使)も認めており、この点で大きな違いがある。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスにおいては後者のブラよろに近い態様であり、CCLにおいて「二次創作」だけを認めるといった形態は難しいものとなっている。

このため、赤松健氏がCCLをもとに考案したとされる独自のライセンスも実際には適用が難しいところがある。CCLに基づくと「二次創作」だけでなく、「二次利用」も認めることになってしまう。このことは著作者にとっては非常にリスキーなことである。
ブラよろやJコミ掲載作品のように連載が終了していたり、絶版となっているわけでもない。連載中の作品が「二次利用可能」となってしまうことは非現実的である。このことは今後も課題として残っていくことになるが、そうなるとやはり、改めて見直すべきは「クリプトン/初音ミク」にあるピアプロ・ライセンスや、「ZUN/東方」の利用規約のような「二次創作」のみを認める規約の一般化であるように思われる。
だがこれもCCLのようにテンプレート化されたものではなく、そのコンテンツ専用に複雑化されたものであるために一般化には再び課題を残すところとなる。だがこれら成功例を参考に規約を洗練していくことは可能だろう。その挑戦が今後は多くの権利者たちに望まれる。
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