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表現規制における「良い/悪い」という線引きの危険

わいせつデータをメール頒布 警視庁逮捕

”3D(三次元)プリンターを使い、女性器を造形するためのデータを頒布したとして、警視庁保安課は14日、自称芸術家、五十嵐恵容疑者(42)=東京都世田谷区野毛2=をわいせつ電磁的記録頒布容疑で逮捕した。”
(引用: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140714-00000026-mai-soci


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事件解説

この事件は、女性が自分の性器を造形するための3Dデータを発信したことが「わいせつに当たる」として、逮捕されたものである。争点となるのは「女性器の3Dデータ」である。

まず「3Dデータが”わいせつ物”に当たるのか?」という疑問がある。わいせつ罪は実在・非実在を問わず、わいせつな表現そのものに適用される法であるから、文章・図画などの創作物、及び実体のある映像や写真もこれに含まれる。3Dデータも実在・非実在を問わず、表現そのものが「わいせつである」と判断されれば違法となる。

では、次に「何がわいせつか?」が問われるが、裁判において「わいせつ」を問うには、以下の三要件に該当する必要があるとされている。

 ・性欲を興奮、または刺激させる
 ・普通人の性的羞恥心を害する
 ・善良な性的道義観念に反する

今回の事件でも警察当局は、女性の性器の3Dデータがこれに該当するものとして逮捕に至ったものと考えられる。


次に、今回の犯罪の被害者は誰なのかを考える。

仮に女性が何者かによって無理矢理に性器のデータの作成や公表をされていたのならば、女性の人権を守るために法律が機能することは言うまでもない。そこで保護されるのは被害者個人の人権である。これを「個人法益」という。しかし、女性は自身でデータを製作して、発信(公開)したので、女性に対する人権の侵害(性的虐待や搾取)といった事実は無い。

ゆえにここで問われているのは個人の人権の保護ではなく、社会秩序としての「風俗」を守るための「わいせつ罪」の適用であるといえる。このような社会全体のための保護法益を「社会法益」という。この「社会を守るために個人を規制する」という実態が、民主主義における「わいせつ罪」において法学の見地から合憲性*を問われている。(*民法・刑法よりも上位にあるべきとされる憲法と照らし合わせて妥当な法律であるかということ)。

個人の人権を守るために規制がはたらく場合と違って、社会秩序のために規制がはたらくことは、それがいったい「誰のためなのか?」「本当に必然性があるのか?」という実態が掴みにくい。「社会のために」という曖昧な部分をもつ根拠のために、個人の人権が強く制限されることは、個々人の諸権利が保証されてこそ成り立つ民主主義社会において憲法に反するという見方がある。「わいせつ罪」の裁判では、この点を争うことが近年ではより顕著になってきている。

このような見方は「児童ポルノ法」でも同様である。
「社会のために」「青少年の健全のために」という実態の見えない根拠で、個人の権利として保証されている「表現の自由」などの諸権利が規制されることは極めて不明瞭であると言わざるをえない。であるからこそ、それらを規制するにあたっては科学的な根拠など確かな証拠が強く求められるのである。




「ろくでなし子」逮捕に作家・北原みのりさんが反論「女性器はわいせつ物じゃない」

”海外メディアからも表現者、アーティストとして注目され、本人もやる気になっていた。そんな矢先の出来事でした。
(中略)
それなのに、メディアでは『自称芸術家』などと報道され、公表していなかった本名や年齢を公開され、警察署に入る際の映像を放映されるなど、『おかしな人扱い』をされています。これはひどい扱いだと思います。
(中略)
本人は芸術活動の一環として行っていたことです。私は、ろくでなし子さんの立場を支持したいと思っています”
(引用: http://www.bengo4.com/topics/1784/


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反論解説

「わいせつ」を問うに当たっては、上述した三要件に該当するかが検討される。そこに「芸術であるから」という阻却理由はない。ゆえに芸術においても「わいせつ」として裁かれることは広く知られるところである。そのうえで、近代の裁判においては「わいせつに当たるかどうか」を検討したのちに、「時代的な社会通念」において、芸術性など社会的な価値も検討するようになっている。

前述したように「わいせつ」を問う部分では、「個人法益」「社会法益」のいずれかが用いられて、対立する「表現の自由」など個人の権利が制限される。芸術的な価値などの「社会通念」は、それらと天秤にかけられて判断される。有名なミケランジェロの彫刻「ダビデ像」が男性器を露にした状態であるにも関わらず、わいせつに問われないのは、「社会通念」に重きが置かれ、「個人法益」「社会法益」のいずれも損なわれないと考えられているためであろう。

今回の女性器の3Dデータについて警察当局は、「個人法益」は損なわれないとしても、「社会法益」は「社会通念」と秤にかけて、社会風俗のために「社会法益」に重きを置いたという判断なのだろう。つまり「芸術性」などの社会的な価値よりも、社会秩序のための「社会法益」が優先された結果だといえる。

これについて、誤解しやすいのは「”芸術”であれば許される」という考えである。近代の法律においては「わいせつ」が三要件によって問われたのちに、「社会通念」を用いて芸術性なども考慮し、一定の裁量をもって判決を下している。ゆえに正しくは「芸術であっても罰せられる」のである。この点を間違えてはいけない。これは盗作などであっても同様である。




ロリコン大国日本の現実 業者も「思考停止しないと…」

”よく指摘されることではあるが、日本は児童ポルノに甘い社会である。欧米をはじめとする多くの国では、たとえアニメであっても、また成人女性が児童に「見えるだけ」であっても、児童性愛を許容する表現は児童の人権の観点から許されていない。日本の法律は、ポルノ目的で撮影されている児童を保護するのが眼目である。つまり、「児童性愛」という「ファンタジー」は、市場として受容され、守られ、消費され続けているのだ。”

(引用: http://dot.asahi.com/aera/2014062300056.html


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論旨解説

記事の全文は上記の「AERA」に掲載されている。記事の作者は北原みのり女史である。
この記事の中で北原みのり女史は、児童ポルノ法において、アニメやマンガも議論の対象にされるべきだと説いている。

児童ポルノ法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)について、少し解説しておくと、この法律は本来は、児童買春・児童性虐待記録物を取り締まるものである。この法をもって守られる法益は実際に被害に遭っている「児童の人権」である。ゆえに、この法律によって「実際に被害者のない(対立する人権の無い)創作物」が取り締まりを受ける必要は本来であればない。もしそのようなことになれば、法としての機能が損なわれているといえる。

しかし、これら児ポ法によって創作物を規制しようとする動きは尽きることが無い。このような活動の根拠にあるのは、前述してきた「わいせつ」を取り締まる法律でいえば「社会法益」のためのもので、その根拠は(対立する個人のない)「社会秩序のため」「青少年の健全な育成のため」である。これは各都道府県に制定されている「青少年保護育成条例」の流れを汲むもので、昭和に起きた「悪書追放運動」の系譜ともいわれる。

北原みのり女史は、こういった「表現規制」に関わる活動をしていながら、冒頭の「ろくでなし子」女史の事件については、それを擁護する動きを見せている。ここに矛盾を感じる者も少なくないだろう。「ろくでなし子」女史の件については「わいせつ」によって表現が規制されている。アニメやマンガについては「児童ポルノ法」などによって表現が規制されようとしている。どちらも等しく「社会」を優先した結果に生じる「表現規制」の問題であるのに、北原みのり女史はこれを「別々のこと」のように扱っている。




アニメやマンガ(あるいは芸術)への偏見

件の「AERA」では、「ご注文はうさぎですか?」を表紙とした雑誌の写真が「児童ポルノ」を論じる誌面に資料として掲載されている。(その写真はWEB記事にも掲載されていたが、これは抗議を受けて撤去したようで、いまは見ることができない)

少なくともこの作品が「児童ポルノ」として掲載されるいわれはない。年齢制限やゾーニングも問題がない、一般向け全年齢対象のアニメーション作品である。実在児童の人権を害していることもなければ、特にわいせつとされるような表現もない。



改めて「ろくでなし子」女史の事件における、北原みのり女史のコメントを取り上げてみよう。



「(前略)海外メディアからも表現者、アーティストとして注目され、本人もやる気になっていた。そんな矢先の出来事でした。それなのに、メディアでは『自称芸術家』などと報道され、公表していなかった本名や年齢を公開され、警察署に入る際の映像を放映されるなど、『おかしな人扱い』をされています。これはひどい扱いだと思います。(中略)本人は芸術活動の一環として行っていたことです(後略)」

(引用: http://www.bengo4.com/topics/1784/



記事の中で女史は「芸術」であることを繰り返し主張している。ここに女史の偏見があるように思える。

女史の中で、”芸術”と分類されているものは「高尚」なものであって、アニメやマンガは”芸術”に値しない(保護に値しない)低俗なものという認識なのではないのだろうか。しかし、それは別に構わない。個人によってどのような価値観を持つかは自由であるからだ。たとえば私は「デコまん」よりも、「ごちうさ」の方が芸術であるように思う。しかし、それはやはり個々人の趣向の問題に過ぎず、それについて論じても意味はないのだ。

ここで論じなければならない点は「どちらも同じ”表現”」なのだということである。

「デコまん アソコ整形漫画家が奇妙なアートを作った理由」、「ご注文はうさぎですか?」
   ↓
「芸術」、「アニメ」
   ↓
「 表 現 」

この点を解さずに「表現規制」を語ることはできない。
「芸術だから規制されない」のではない。「アニメだから規制される」のではない。

法律は一切合切の区別なく、論理によって全てを制するのである。
それは先述してきたように有象無象の区別さえなく行えるようになる。

「わいせつ罪」であれば、それが芸術であろうとアニメであろうと、実在しようと実在しなかろうと、わいせつ要件に該当し、時代通念に照らし合わせて看過できないと判定されれば規制される。
北原みのり女史が児童ポルノ法をもって、アニメやマンガという「表現」を規制しようとするのであれば、それは同じように「芸術」という表現が規制されることになるのだ。そこに区別などない。




表現規制に反対する者として正しい行動は

今回の事件を受けてネットでは、アニメやマンガに対して差別的な発言をしていた北原みのり女史への批判的な声も聞こえる。本稿もそういった主旨を含んでいることは否定しない。しかし、それでも「表現規制」を望まないのであれば、本件について2人の女史を嘲笑するのではなく、同じく「表現」を守る者として行動しなければならないだろう。ここで「ざまあみろ、冷たいメシでも食っていろ」と突き放したのでは、それは自滅への道ともいえる。

現在、「芸術家・ろくでなし子氏(五十嵐恵容疑者)の即時釈放」において、警察への抗議として署名活動が行われている。期日までに一人でも多くの者が署名に参加してくれることを望む。



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