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【TVタックル/AERA】メディアに捏造される”危険なアニメ”


■アニメと犯罪の関連性に根拠はない


2014年9月1日にテレビ朝日系列で「TVタックル~ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か?」が放送された。まずは番組の冒頭で凶悪事件がインパクトのある紹介をされて、さも凶悪事件とアニメに関連があるような演出がされる。
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(※画像や発言の引用は他に指定があるもの以外は同番組からのものである)

これは雑誌『AERA 2014年 6/30号 70頁』に掲載された、北原みのりの記事 『児童ポルノ法が規制できないロリコン大国日本』 でも使われた手法である。
AERA (アエラ) 2014年 6/30号 [雑誌]AERA (アエラ) 2014年 6/30号 [雑誌]
(2014/06/23)
不明

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”女児が惨殺された8年前の事件の容疑者が、6月上旬に逮捕された。報道によると、32歳の男の自宅からは、大量の児童ポルノ画像が押収されたという。” (引用: http://dot.asahi.com/aera/2014062300056.html

しかし、実際にこれら凶悪事件とアニメなどを関連付ける根拠はTVタックルの番組の中でも、AERAの記事の中でも一切示されていない。あくまでも「関連があるのでは?」といった程度でしか言及されていないのである。番組の中でも土屋議員は「現場の実感」ということでしか伝えられていない。明確なデータや論拠はでてこなかったのである。だがそれでも見出し文や映像・写真での演出は、あたかも凶悪事件がアニメなどによって引き起こされているといった印象を与え、不安感を想起しかねない内容になっている。

土屋議員は「第186回国会 法務委員会 第21号 議事録」でも同じように、他の議員から「1,2つの特殊な事例を挙げて関連があるように語るのではなく、はっきりと相関を示すべき」との指摘を受けている。このことはTVタックルの番組内でも江川・岡田らから「特殊なレアケースを全体のように語るのはよくない」「データが示せないのならば、何の根拠もなく憶測でものを語るのはやめましょう」と何度も指摘されている。そのうえで土屋議員からは「現場の実感」という言葉が出てきただけに留まっている。こういった印象のみでものを語る場面は後の「自衛隊ポスター」の段でも同様に「データは無いけれども」と前置きをして自己の印象のみを根拠に語り、会場から印象論にすぎないと(相手の野間口は実際にひとつの実例を挙げていたために)批判されている。

さて、実際に部屋にアニメのポスターやDVDなどがあるということが犯罪者の構成要素となりうるのだろうか? 例えばこれが政治やスポーツやアイドルのポスターだったらどうなのか? 同じように「これが犯罪の原因だ」というような報道がなされるのだろうか? おそらくそれはないだろう。結局は1980年代後半に宮崎勤によって起こされた事件「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」のときに報道された「オタクは犯罪を犯す」というイメージが定着してしまったままなのである。

宮崎勤が特に残虐なアニメのマニアだったという情報は現在では否定されており、単に大量にあるマンガやビデオの中に数点アニメやホラーものがあったという程度だった。冒頭で紹介されたTVタックルやAERAのような事例も決して特別なことではなく、まず報道が「アニメやマンガを悪者にしよう」という魂胆ありきで作られた情報なのであり、偏向されたものなのだと言わざるをえない。

戦後の日本ではマンガやアニメが普及し、それに続きTVゲームなども人気を博する。これらは一般家庭において広く普及したものであり、現代では大人も含めて多くの人間が接する娯楽となっている。つまりこれらは日常的に誰の家にでも存在する可能性が非常に高いもので、マンガもアニメも見たことがないし、TVゲームやソーシャルゲームもやったことがないという人間の方が現代では珍しいぐらいだろう。
最もな意見である。これはTVタックルの中でも江川達也が指摘しているが、「みんなご飯食べますよね。犯罪者もご飯食べますよね。じゃあご飯危険ですか?」。これは「DHMO」というジョークに使われる手法だが、誰もが接する「水」や「空気」を言い換えて危険なもののように取り扱って、「犯罪者は100%これを服用している」などと煽り立てる。多くの人間が真面目に聞いているうちは恐怖を覚えるが、最後にネタばらしをすると「水や酸素なんて誰でも摂取するものじゃないか」「そんなところに犯罪との相関なんて見出せるわけがないだろう」とツッコミを貰って終わるものである。

実際に現代において規制派が唱える「マンガやアニメは危険だ」「凶悪事件と関わりがある」というのは、このDHMOのジョークのレベルにすぎず、それで犯罪の原因を突き止められるのならば世界はとっくに平和になっているはずなのである。

世界中どこでも誰でも凶悪な犯罪が起きると「アイツは自分達とは違う異常者だ」というように考えたがる傾向にある。実際に精神面で健常者とはどこか異なった部分があるのは確かだろう。それが犯罪の素質となりうることも推察できる。しかし、先に挙げた宮崎勤のときのように原因を「アニメやマンガに求める」というのは根本的な解決になっていない。いま日本で「マンガやアニメが残虐な事件の引き金になっている」と唱えられているのは、「オタク」という自分の生活と関わりがないとされるものを槍玉に挙げて批判し、切り離して、「さあ、これで安心だ。自分たちは犯罪者とは違う」と偽りの安寧を得ようとするためのスケープゴートでしかない。

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何らかの情報によって自らの思考を強化し、実際の犯行に出る者はその情報源がマンガだろうとアニメだろうとニュースだろうとドラマだろうと映画だろうと小説だろうと影響を受けるのである。仮にマンガやアニメが規制されて犯罪がなくなるのかと考えてみれば、オタク文化が生じる以前から残虐な事件は多々起こっているのであって、今さらマンガやアニメを規制したからといって犯罪がなくなるわけではない。人は誰しも生まれながらに罪を犯すものなのである。



■海外で日本のアニメは規制されている?

実際に海外では創作物も含めて性・暴力において過激な描写が規制されている現実がある。だがそれは、もともとその国がそういった性や暴力を含むコンテンツを規制しているのであって、「日本のものだから」といった特別な理由はない。しかしこれもTVタックルでは偏向気味に報じられている。
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これではまるで「日本のアニメだけ」が規制されていて、他は大丈夫というようなテロップである。しかし正しくは海外では、もともと性や暴力を含んだコンテンツは規制されているために製作されていないのであって、何も「日本のものだから」特別に規制されているわけではない。自国のものでも他国のものでも同じなのである。

さらに指摘しておくと、こういった「海外では~」といった語り口は、「ソースロンダリング(情報洗浄)」と呼ばれる情報源を誤魔化す手口のひとつとして有名で、「海外の~」とつけることでそれっぽく演出されてしまうものなのである。例えば「海外の掲示板にxxxという書き込みがあった」と言えばそれらしいが、実際に日本からも海外の掲示板に書き込むことが可能なことを考えると、その書き込み自体が自作自演という可能性も出てくる。

海外で実際に創作物も含めて法規制の対象としているのはアジアでは韓国の「アチョン法」がある。アチョン法は2011年と比較的に近代に導入された法規制であるが、2000人以上の大量の逮捕者を出しても犯罪が減った傾向はない。逮捕者の大半も犯罪とは関わりのない市民が大半であり、結局は犯罪の抑止に何の効果も発揮していないのが現状である。これは他の国々を見ても明らかである。スウェーデンでも同様に創作物を含めた法規制があるが、特に犯罪率が下がったというデータは報告されていない。

これを受けてスウェーデン国内では、「架空のキャラクターのために時間を取らせるのはやめて、実際の虐待の取り締まりに専念させて欲しい」という声も上がっている。これは日本の「刑法175条 わいせつ罪」でも問われることだが、ときに「被害者なき犯罪」を生むことがある。通常の犯罪であれば「被害者」が存在するのだが、単に「わいせつだから」という理由で取締りを受けた場合は「誰が被害者なのか?」という点が抜け落ちてしまう。児童ポルノに関する法案でも、ICPO(国際刑事警察機構)が「漫画はそれ(児童ポルノ)にあたらない」と断言しているが、これは児童ポルノが、「実在の児童の虐待(被害)をもって発生するもの」であって、「想像における表現物に実在の被害者はいない」と判断されているためである。
(参照: デンマーク法務省報告「漫画やアニメと児童性犯罪の因果関係は無い」

さらに韓国のアチョン法における裁判では、「罪刑法定主義の原則、過剰禁止の原則、平等の原則にそれぞれ違背しており違憲だと疑うだけの理由がある」として違憲である(法律が正当なものでない)との申し立ても認められ審議されている。
(参照: 大量逮捕は「警察の点数稼ぎ」?未成年もどんどん逮捕される韓国の二次元規制

創作物の中にある架空の事件を実際のものとして扱うことの齟齬は、ミステリーやサスペンスで起きる殺人事件を例にすれば、それがどれだけ愚かなことかが理解できる。例えば「名探偵コナン」では毎回のように殺傷事件が起きる。では創作物の中の犯罪を実際の警察が取り締まるのだろうか? 「賭博黙示録カイジ」の中では違法なギャンブルが繰り広げられているが、これを警察は取り締まらなければならないのか? というよりも、何故こちらは野放しなのか? 虐待や強姦どころか殺人である。もっと積極的に規制しなければならないのではないだろうか? …とまぁ、そんなことを本気で考えることがどれだけ愚かなことか容易に理解できるだろう。

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さらに「キャラクターに人権を与える」ということまでして、空想の犯罪を取り締まりたいと考える人間も存在する。だとすれば、過去に行われた悪書追放運動における「焚書」はホロコーストさながらの大虐殺になってしまうわけだが、規制派はそういった矛盾に気付けないのか意に介さない。「空想と現実の区別」がつかず、それも現実のように扱おうということは、いわゆる「思想犯(考えるだけで犯罪になる)」を生み出すディストピア的な発想である。ジョージ・オーウェルのSF小説「1984年」のような考えを持った人間が実在しているのである。
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TVタックル内でも野間口が「夢の中で犯罪を犯すことはある」と発言したのに対して、平林が「夢でも駄目」と発言し、大竹が「夢でぐらい犯罪やらせてやれよ」と述べ、後に自らも「頭の中で犯罪を考えることはある」との旨を発言している。いわゆる刑罰における「犯罪」というものが確立するには、言動が実行に移されてはじめて有効なものになる。頭の中で「殺してやりたい」と殺意を抱いても逮捕はされない。「殺してやる!」と脅したら脅迫罪になるかもしれない。実際に殺そうとしたら殺人未遂になるだろうし、殺してしまったら殺人罪になる。しかし、普通であれば空想と現実の区別はついている。他人の頭の中は覗けないし、そこまで取り締まろうなどとは常識的に考えてやろうとは思わないはずだ。

江川らも「現実に犯罪を犯してしまう人と、やらない人がいる。その境界線を考えずに”駄目”というのはよくない」といった発言をしている。規制派の土屋や出口からも「そういった判断がつかない人もいる」「認知能力が偏った人もいる」といった点が指摘されるが、犬山から「それは犯罪を犯す人の問題で、多くの人はアニメを見たからといって犯罪を犯さない」と、一部の例によって全体が規制されることを非難している。しかし土屋はこれに対して「それは問題をごっちゃにしている。社会的にどう規制していくかという問題だ」と反論する。

要は一部の例であっても、社会的利益のためにどのように規制を敷いて犯罪を未然に防ぐのかという話で、レアケースを無視したりしていいわけではないということである。だがこういった発言があったにも関わらず、のちに土屋議員は野間口との「自衛隊ポスター」の件で、自衛隊に入隊したオタクについて「レアものじゃないの?」と否定している。ここに矛盾はないのだろうか。
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■メディア効果論

平林は以下のようにアニメなどを見ることによる「洗脳効果」を危惧している。おそらくこういった考えは規制派の多くにあるものだろう。平林の以下の発言もそれを代表したものだといえる。
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そもそもテレビなどのメディアに触れる人間が「メディアの影響を受けて事件を起こす」という可能性についてはテレビやラジオが登場した当時から問題視されてきた。そのたびに何十年という歳月をかけて「メディアと事件の関連性」が疑われてきた。ゲームが出れば「ゲームが悪い」、マンガが出れば「マンガが悪い」、携帯電話、インターネット、アニメ、などなど、そうやって時代は常に「悪者」を探してきたのである。しかし、とうとう今日に至るまで明確な関連データは出されていない。

そもそも海外では日本以上に規制が進められているにも関わらず「犯罪が減少した」といったデータは報告されていない。それどころか海外よりも日本のほうが犯罪率が低いのが現状でもある。もちろん人口比率や環境など様々な違いはあれど、もっと確証のあるデータが土屋議員などから出されてもいいのではないか。TVタックルも「海外では規制されている」ということを強調するのならば、それによって「どう変わったか」も取り上げなければ無意味ではないのか。

児童心理学講座〈第9巻〉社会生活とマス・コミュニケーション (1969年)児童心理学講座〈第9巻〉社会生活とマス・コミュニケーション (1969年)
(1969)
岡本 夏木

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上記の書籍は1969年に初版が発行されたものであるが、およそ45年前に書かれた書籍にでさえ「メディアと事件の関連はハッキリしない」と記されている。それよりもさらに10年前になる、1959年(昭和34年)には文科省が初めてテレビの普及による子どもへの影響の調査を実施している。学術的にはさらにそれ以前から何十年も証明されていない理論なのである。こういった「どこまでいっても証明できない」理論は俗に「悪魔の証明」と呼ばれ、およそ実証不可能なものとされている。(例: 地球外生命体がいるか/いないか、全宇宙を過去現在未来に渡って全て調査するまで「いない」とは断言できない)

逆に言えばだからこそ何十年も、あるんだかないんだかハッキリしないことをさも存在するかのように騙ることが可能なのである。しかし、もうそれこそ50年以上は証明されていない理論が「ある」とはどうにも言えない状況にはなってきている。番組内でも土屋議員が「(犯罪とアニメに関連があるという)データを作っている」と述べているが、もしそれが可能なら歴史的な偉業となることは間違いないので頑張ってもらいたい(皮肉の意味を込めつつ)。

うわさと誤報の社会心理 (NHKブックス)うわさと誤報の社会心理 (NHKブックス)
(1988/11)
広井 脩

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この著書の中では1938年のアメリカのラジオドラマ「宇宙戦争(原作:H・G・ウェルズ)」の放送を聴いた人々の行動について、社会心理学者 H・キャントリルの研究結果を紹介している箇所がある。それによると、当時このラジオドラマ「宇宙戦争」は、オーソン・ウェルズの案によって、「実際のニュースのように」放送され、多くの人々を混乱させ注目を浴びた。キャントリルはそのときの人々の反応について幾つかの分類をしている。

まずは放送が作り物だとすぐに気付いたり気にしなかった人々である。宇宙人などいるわけがないという他に、襲われたという街や地域に住んでいる人たちが気付くこともあった。それ以外の人々ではラジオ局や襲われたという地元に連絡をして確認をする人々もいた。ここまでは「騙されなかった人々」と言っていいだろう。だが、中には本当に信じてしまった人もいたらしく、そういった人は「情報の精査(確認)」をしなかった、あるいは情報の精査が甘かった(表に出たら人気が無かったので皆が逃げたと勘違いしたなど)、というのがキャントリルの分類である。

これは現代の「詐欺」などにも共通することだが、例えば「俺俺詐欺」や「偽装メール」など、怪しい情報はそれ以外のところで確認をするのが常である。これを怠ってしまう人が誤報に踊らされると著書の中では指摘されている。また、デマや誤報といったものは、「恐怖」や「生命の危機」といったものを伴うほど素早く拡散される傾向にあり、災害時のデマや誤報に関してはとくに注意が必要だと書かれている。最近でも東日本大震災で起きたTwitterなどネット上のデマは素早く広まってしまったものが多かった。

マス・コミュニケーション効果研究の展開マス・コミュニケーション効果研究の展開
(2003/04)
田崎 篤郎、児島 和人 他

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さて、こういったメディアによる影響論を「メディア効果論」というが、主に「強力効果論(弾丸理論・皮下注射モデルとも)」と、「限定効果論」がある。「強力効果論」はシンプルなもので、メディアを見た人間がすぐに影響されて、そのまま行動を起こすという単純なものである。もちろんそんなことはあるわけがない。たとえメディアに影響を受けるにしても私たちは健常であれば、そこからさらに自己判断を加えるはずである。(例: 普通であれば仁侠映画を見たからといって、すぐに人を殴ったり斬ったりといった暴力行為には及ばない)

「限定効果論」は、この強力効果論の後に出てきた理論で、「影響を受けるにしてもそれは限定的なものである」という理論である。この「限定」の範囲は様々だが、強力効果論のようにメディアから発せられた情報をそのまま受け取るということはなく、その間に様々なプロセスが介入するということを論じている。(例: メディアから直接ではなく、自己判断や他人の話を通して情報を得るなど)

規制派が主張する「(特定の)メディアは害悪で、悪い影響がある」というのは、前者の強力効果論的な意味合いが強い。すなわち特定のメディアに影響された人々が事件を起こすのだから、特定のメディアを規制すれば凶悪な事件は減少するというのである。もちろんその証明が現時点でなされていないうえに、仮に実証されたとしてメディアに影響されるのであれば、それはなにもマンガやアニメに限った話でもない。さらに影響を受けて事件を起こす人間などレアケースであるから、そのごく一部の異常者のために万人が規制を受けることが果たして社会的な利益となるのか、規制と安全のバランスがとれるのかは疑問である。



■洗脳は可能なのか?

「洗脳」という行為自体は存在するし、実証もわりと簡単なものではある。しかし、それには幾重にもわたる「条件付け」が必要で、内的にも外的にも対象をコントロール下に置くことが求められる。上述したメディア効果論でもそうだが、何かを命じたからといって人はそれに即座に強く影響されたり、従うわけでもない。まずは自分で考えることができる限り、自己の判断を織り交ぜようとする。ゆえに洗脳の第一段階はこの「自己判断能力」を奪うところから始まるものが多い。

軍隊に入ると新兵は上官から徹底的に自己否定される。これによりまずは「自己」を消失させて、駒としての「兵士」に生まれ変わらせるのである。他にも「ミルグラム実験」にあるように実験場で「罪悪感を麻痺させる」といった方法で「自己判断能力」を鈍らせ掌握する方法もある。ナチスドイツの軍政下でもそうだが、「ドイツ人は優性」「ユダヤ人は劣性」という思考を社会レベルで刷り込むことによって虐待や虐殺を容易なものとした。このように特殊な条件下でなければ社会的レベルの「洗脳」は実現が難しい。「アニメを見ただけ」でこういった条件が満たさせることは考えにくい。自己否定されたうえで、アニメを見て、その中の残虐行為や犯罪行為を推奨し、奨励するような社会がなければまず実現しえない。(内的要素+影響+外的要素)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)
(2004/05)
デーヴ グロスマン

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この著書の中では、「戦場で兵士が命令どおりに人を殺さない」ことが実例として取り上げられている。お互いに銃弾の届く距離で塹壕から延々と射撃を繰り返すがまったく決着がつかない。多くの兵士が空や塹壕の手前など、人に当たらないところに銃撃していたのである。このように「ただ命じただけ」では、人は自らの良心や良識に従ってそれを制限する。「戦場」という特殊な場でさえ、このように人は自分で考えて行動する側面を持っているのである。これを麻痺させるのは並大抵のことではない。

さらに洗脳によって残虐な行為を実現させるのであれば、何も「残虐な描写」によってイメージ付ける必要はない。むしろ「良いイメージ」によって実行させるほうが効率的なのである。地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教もアニメーションビデオを使った広報活動を行っていたが、自分が過去に報道を通して目にしたそれに地下鉄サリン事件のような残虐な場面は見られなかった。あったのは楽園のような明るいイメージ映像だけである。「破滅への道は善意によって踏み固められる」という言葉があるように、カルト宗教などによって起こされる歴史的な事件は「破壊」というよりも、「創造」といった肯定的なイメージによって実現されることが多い。つまり信者たちは破壊活動(と本人たちは思っていないのだが)によって世界は浄化されるといった肯定的なイメージをもってテロや虐殺を実行するのである。



■暴力映像の影響

これもTVタックルの中で心理学者の出口がバンデューラのモデリング理論を使って紹介している。しかしモデリング理論は連続した理論のごく一部でしかないため、これのみで「強い影響を受ける」ということは「メディア効果論」と同様に断定できるものではない。(そのため出口も「そういった可能性がある」という論調でしか話していない)。
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以下の書籍においてアニメーションが児童に及ぼす影響の研究結果がまとめられている。
①バンデューラのモデリング論: 映像の行動が学習される。
②パーコヴィッツの認知的新連合理論 : 以前の経験が以後の認知行動に影響を与える。
③ウィルソンの脱感作理論: 特定の映像に触れすぎることで慣れからその映像に対する感情が麻痺する。

アニメーションの事典アニメーションの事典
(2012/07/03)
横田 正夫、 他

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パーコヴィッツは攻撃の手がかりとなる最もたる要因は「フラストレーション(欲求不満)」であるとしている。そしてバンデューラは映像(メディアに限らず実際に暴力を振るっている場面を見ることも含まれる)によって、それを学習し真似(モデリング)すると説明している。こういった前提において、見せられる映像内容の中で、暴力を否定的に扱うと抑制され、肯定的に扱うと促進されることが一時的であれ観察されている。同書における「アニメーションと攻撃性(260頁)」でも岡隆は、「アニメーションの中で攻撃的な行動が描かれるにしても、その描かれ方が検討されなければならないだろう」と結論付けている。

このことは番組内でも江川が主張しており、「描き方によって見方も変わってくる」「悪い創作物には、良い創作物で反論していくしかない」といった発言が見られる。土屋もこういった「内容による」といった言葉は端々で発している。平林も同様に「もっと良い悪いが判りやすいアニメーションを作ってほしい」と発言しているが、価値観の多様化した現代において一様に「良い悪い」を論じることの難しさも考慮したい。「良い悪い」はどこで決まるのか、誰が決めるのか。単なる「好き/嫌い」ではないのか。難しい問題である。
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■良い影響と悪い影響

実際に創作物や言論に影響力は無い、と言ったら嘘になる。しかし、「影響があるから」といって、それが犯罪の決定的な「原因になっている」という確証はどこにもない。「ひょっとしたらそうなんじゃないか」という漠然とした不安があるだけだ。TVタックルやAERAのような報じ方はこういった漠然とした不安に訴えかけていく手法である。不安を煽り、そこに何らかの需要を見出そうとする。例えばオタク差別やバッシングによって、「悪いのはオタクであって一般人じゃない」と偽りの安寧をもたらすのである。それは何の保証もなく、水道水に不安をもたせて浄水器(一時的な安心)を売るようなものである。

これは私見だが、土屋議員の政治活動や北原みのりのフェミニズム活動なども、そういった世間の漠然とした不安を煽ることでオタクを標的にし、それを「共通の敵」とすることで世論の支持を集めようとする意図があるのではないかと考えている。このことは出演者の岡田も後のニコ生で土屋議員について同様のことを発言している。ただこういったことは政治活動の常であり、TV局が視聴率欲しさに偏向したり捏造するように、その業界では当たり前とされる文脈でもある(だからといって差別や偏向・捏造は許される行為ではないが)。

さて、創作物における良い影響と悪い影響についてだが、例えば「キャプテン翼」を見てサッカーを始めたとか、「燃えよ剣」を読んで歴史に興味をもったといったことは「創作物に影響された」といえるだろう。同様に「ドラゴンボール」を見て”かめはめ波”を撃とうとしたり、「るろうに剣心」を読んで”二重の極み”を真似してみたりといったことは先に挙げたバンデューラの「モデリング理論」に当てはまる行動である。ちなみにこういった体験を通して子供は「空想と現実は違う」ということを学んでいく。(例: テレビアニメと同じ魔法少女のグッズを買ってもらっても変身したり飛んだりできない→テレビアニメは嘘だと学習する)

ではこれによって犯罪は助長されるのだろうか? 空想と現実の区別のところでも論じたが、普通であれば頭の中で思ったことや映像で見たことでも「すぐに実行しよう」とはなりにくい。まずはそれが社会的に許容されていることかどうかを自己判断するし、親が一緒に見ていれば「こんなことをしてはいけないよ」と諭されることもある。通常であれば、社会がそういった行動を推奨したり、肯定的に扱わない限り、動機が形成される可能性は低い。
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このことは番組内でも出口が「犯罪を犯すときのリストとコスト」という面から言及している。さらに出口は江川の「犯罪を正当化する人と、しない人の違いがある」という意見に同調しつつも、それは通常の人間の場合だと追求している。犯罪者の中には「レイプ神話」のような空想を信じ込んでいる人間もおり、こういった人間にはリスクやコストの判断能力が無いとも述べている。

通常であれば人を殴って嫌な顔をされれば、「よくないことをしたな」と思うのが正常であるし、番組内でビートたけしが「プロレスの真似して投げ飛ばしたり噛み付いたりして…」と言っているような行為を続けるのであれば、それはもう暴力を振るう側に問題があると判断せざるを得ない。規制派はそういった人間に対してどう規制して、影響を減らしていくかということを主張するが、規制反対派は「例えマンガやアニメ(その残酷シーン)をなくしたところで他で犯行の動機を形成する」と指摘している。



■規制されるような過激なシーンは映っていない

TVタックル冒頭では「魔法少女まどかマギカ」のワンシーンが流されて「残虐なシーン」として紹介されている。これに対してビートたけしが「これはR指定なの?」と問い、「R指定ではない」と言われると、「俺の映画はR指定だったのになんでだよ」と意見する。
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これに対して会場からは「実写だから…」といった声も聞こえたが、実際のところ北野武・監督主演作品の「座頭市」と、アニメ「魔法少女まどかマギカ」では、実写とアニメーションというほかにも大きな違いがある。以下、それを映像技術の観点から論じてみよう。

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これらはいわゆる「モンタージュ」と呼ばれる映像演出のひとつであり、連続するシーンによって、見ている人間に「連想させる」ことで、何かが起きたように錯覚させる手法である。(この場合は銃弾が頭を貫いているように錯覚させている)。だが実際のところ銃弾が頭を貫いている直接的な”画”は存在していない。つまり厳密には残酷シーンは「描かれていない」のである。まどマギ視聴者なら、「巴マミ」の例のシーンもモンタージュによるものであり、肝心の場面は全く写されていないことに気付くだろう。しかし視聴者は「連想」する(させられる)ことによって、あたかも残酷な描写を”見た”ように「錯覚」するのである。

もうひとつ例を出してみよう。以下は「レベルE (1巻169項・冨樫義博・集英社・1996年初出)」からの引用であるが、1~3コマ目に注目してもらいたい。カッターナイフが写り、次にそれを手元にもっていく人物、そして3コマ目に何かが滴り落ちたような画面が描かれる。
名称未設定 1
これを連続して見ると、2コマ目の人物が「カッターで体を切った」ような印象を受ける。…が、しかし、実際のところ切った場面は全く描写されていないのである。それに3コマ目はコーヒーか何かを溢した痕かもしれないし、インクの染みかもしれない。誰も「血」だなんて言っていないし、描写もされていない。だがそのように「感じる」。これがモンタージュによってもたらされる効果なのである。これは文字でも演出できる。「違法・薬物・注射」と、単語を並べただけなのだが、何かいけないことのような印象を受けてしまう。

実際にこれらはホラーやスプラッター映画ではよく使われる手法である。北野武の「座頭市」でも同様の画面演出はある。しかし、座頭市の方はモンタージュを使うところもあれば、かなり直接的に身体の破損などを描写しているところもあり、R指定であるのは当然といえる。ここがまどかマギカのアニメーションとの明確な違いなのである。
(以下、モザイクをかけてあるが、映画「座頭市 (オフィス北野 / 松竹・2003年)」で壺振りが腕を切り落とされるシーン)
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この指摘は面白いところで、先のまどマギもレベルEも「残酷描写を削ってください」と言われたら、「じゃあ、どこを削るんです?」となってしまう。モンタージュによって演出されている「残酷っぽいシーン」ごとカットするのか。(まあ、実際にやるとなったらそういうことになるだろう)。対して北野武の「座頭市」の方であれば、やはり直接的な残酷シーンがいくつかあるので、(全年歳対象にするのであれば)それらを削りましょう、ということになる。

こういった例は人々が「(モンタージュによって与えられた)印象」だけを基に事実を精査せず、感情だけで「規制しよう!」とする最もたる例ではないだろうか。TVタックルでは「過激なシーンが…」と紹介されているが、それが「錯覚」であることは、テレビ業界の人間なら解っていたはずである。それを「あってはならない描写が写っている」かのように印象操作したことは偏向報道といえるだろう。ほかに紹介された「なのは」にしても、写ってはいけないところは、もともと写ってなどいないのである。(というか、モザイクもなしにそれを番組内で流したということは、自ら”問題ない”と確信していたことの証左でもある)。



■堂々と売られている過激なアニメはない

「過激なアニメが売られている」とTVタックル内で報道された売り場は、アニメのDVDなどの売り場ではなく、パソコンゲームの売り場である。それもアダルト向けのものであるから、刺激的であるのもアニメのDVDの比ではない。こういったものは販売場所も通常の売り場と区分けされているのが通例である。VTRに出てきた映像でも区切られた場所にコーナーが作られている。
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パソコンゲームにしろアニメにしろ成人指定のものは一般的なショップで全年齢に向けて販売されている実体はない。年齢指定のついたものは売り場も区分されているし、対象年齢以下への販売も制限されている。Amazonでもこれらの製品を表示・購入するには年齢認証が必要になっている。つまり「アニメ」といって報道されたものは「アニメ」ではないし、「堂々と売られている」といった事実もない。売り場の区分や年齢制限が実施されている。ソフトウェアの年齢区分も「ソフ倫」によって管理されている。

つまるところ「何故TVタックルはアダルトPCソフトウェアの売り場を写したのか?」という疑問の答えは、「問題のあるアニメDVDを売っている現場など存在していない」ということなのである。だからR-18のアダルトコーナーを写して「過激なアニメDVDが売られている」という事実を捏造する。本件でTVタックルが犯した最も偏向された報道である。北原みのりがAERAに載せた記事の写真もそうだが、記事の中で「日本には児童ポルノが氾濫している」と紹介されているが、ここでも「普通のアダルトビデオ」を「児童ポルノ」のように見せることで事実を捏造している。
(参照: 偏向してでも日本を「ロリコン大国」にしたいAERAと北原みのり氏のトンデモ記事

事実があるのなら手抜きせずに現場を伝えればよいのではないか。「過激なアニメがある」というイメージ先行で取材を行い、実際にそんなものが存在していないことを知ったのかアダルトPCソフトウェアの売り場を「アニメ売り場」として報道する。それが偏向報道でなくて何なのか。「児童ポルノ」でもなんでもない一般流通するアニメやアダルトビデオを「児童ポルノ」と騙ってでも人からの支持を得たいというのであれば、それほど歪んだ人間や思想を支持することほど危険なことはない。

「やらせ」と呼ばれる行為は、主に3つに分類される。①演出 ②過剰演出 ③捏造 の3つである。「演出」はいわゆる「再現VTR」のことであるが、「これは再現映像です」というテロップが入るか否かで問題の程度は変わってくる。次に「過剰演出」であるが、これは再現映像での演技を過剰に演出することである。実際にはそこまで酷くなかったことを凄惨なことのように描いたりすることである。最後に「捏造」であるが、これはもう先述したように「事実がない」のに、「事実がある」ように報じることである。②と③の違いは、根本となる事実が「あるか/ないか」というところになる。

番組放送後には土屋議員も自身のブログで「堂々と書店で売られている現状だ」と述べている。しかし、その書店はどこなのか?これもやはり「あるある」と言っておきながら「いつ・どこ」といった具体的な事実は出てこないのである。 売り場も区分せず、未成年者に成人指定の本を売っている店舗があるのなら、そこを追求すればよいのではないか。酒や煙草も年齢による制限が厳しくなっている。しかし製造者が「悪い」ということにはされていないし、流通をなくそうというほどでもない。しかし、マンガやアニメは、その存在自体を「法規制」してしまおう、となるのは不思議でならない。

土屋議員は番組の中で、江川に「包丁で殺人が起きたからって、包丁を規制しようっていうのは、おかしいでしょ!?」と問われて「それは違う、全然違う。包丁は有用だもの」と返し、江川や犬山に「文化はいらないですか!?」と責められている。よく「表現の自由は何らかの犠牲になるべき」という主張を見るが、何をおいても国や警察といった公権力が言論の自由を奪うことが支配への一歩だということを強調しておきたい。自由に意見を言ったり、聞いたりすることが、公権力によってできなくなることが支配を生じさせるのである。もちろん対立する人間の人権を侵す場合は、この限りではない。そこは互いに相手を尊重しなければならない。
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実際のところ規制派からしてみれば、マンガやアニメという文化は無くなっても何も困らないという認識でしかないことが伺える。つまり彼らが規制を進める背景には「そんなものなくなっても自分達には関わりがない」という認識があるのである。これは平林や阿川らのオタクに対する反応を見ていても汲み取れる。明らかな偏見があり、自分達とは異質なものであり、これを規制してしまおうという意図が透けて見えるのである。オタクは社会的な害悪だから規制して、矯正しなければならないという思想が根底に透けて見えるのである。



■オタク差別の視線

番組内では、この「オタク蔑視」ともいえる差別的な意識や偏見が浮き彫りになった場面が多々あった。
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平林はフィギュアを持つ趣味を「こんな人形を見て純真になれるような人、おかしいでしょ。それ自体が」と、オタク趣味に対して否定的である。犬山が「そういう価値観もあるんですよ」と添えるも、「おかしい、そんなのはおかしい」と態度を硬化させてしまう。さらにオタクたちがキャラクターを”嫁”と呼称すると「何が嫁なのよ!」と声を大にして不快感をあらわにしたり、その後もオタク趣味を語る野間口に対して「そんな暇があったら勉強しろ!」と一喝している。(その後、野間口は大学で高得点を収めていることを明らかにして平林は黙る)。

平林はオタクに対し、否定的で偏見の塊のような反応を見せているが、実際のところ彼女の年齢層や世間でのオタクへの認知は似たようなものだろう。そういう意味で彼女がことさらに現代の日本で特殊な偏見の持ち主だとは言いづらい。わりと平均的な反応であるように思える。ただ、いくら理解はできるといっても、侮蔑的な言葉や態度は許されるべきではない。最低限の礼儀すらなっていないような口ぶりは批判されてしかるべきだろう。他にも平林は「男くせに」という発言をして、犬山に「男だから女だからというのは時代が古い」と指摘されている。実際に女性のオタクもいるわけだから(ゲストで呼ばれたオタクの中にはいなかったが)、平林の言葉はまったくの的外れだといっていい。

次に、阿川女史についてであるが、彼女もまた番組内でオタクに対していくつか不適切な発言をしている。
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最初の画像のところで(字幕は無いが)、犬山「可愛いじゃないですか~!」 阿川「可愛いってだって男だよ。バカじゃないの!?」と発言している。さらにVTR明けに、「どう? どう…。だって 女の子の遊び方みたいな感じじゃないですか?」と性別を理由にオタク趣味を否定的に取り扱っている。番組内では規制派や反対派を問わずに、たびたび男女間のものの見方が談笑されるところがあった。しかし、そういったところでも性別による問題意識の薄さが垣間見れた。

結局のところオタクに対するそれも顕著であったが、出演者の多くが「差別意識」に無頓着であった。「オタクのくせに~」「男なのに~」「女は~」といった理由で否定してくる。犬山はこれに「そんなの古いですよ。いまはどっちでもいい」といった旨で反論しているが、規制派には受け入れ難い表情をされてしまう。さらにその後、野間口とのやり取りの中でも阿川は露骨な偏見をあらわにする。
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野間口が「就職が決まっている」と発言すると、驚いた様子で「就職きまっているんですか? 働くということに抵抗はないんですか」といった質問を野間口に投げかける。野間口は「全然ないですよ。好きな仕事ですから」と答える。先の平林もそうだが、彼女らの中での「オタク」は「勉強もできない」「仕事もしない」というイメージがあったのである。またゲストの中には既婚者(現在は離婚)もいたが、「現実の女性と恋愛をしない」という偏見を示すこともあった。既婚者のオタクや「オタ婚(オタク同士の結婚)」も今では珍しいことではなくなっている。

ほかにも、土屋議員や平林がアニメポスターを見て自衛隊員になったオタクの話を聞いて、「そんなのレアものじゃないの?」「どうせ続かないでしょ」と入隊したオタクに対して否定的な態度を示している。大竹も「俺は日本人形を好きになったことなんかねえよ!」とフィギュア趣味を持ったオタクについて否定している。
これに対してミッツ・マングローブは「とっても偏った見方でしか見てない」と規制派を痛烈に批判する。
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この他にも土屋議員は「政治家」として発言し、自衛隊の広報ポスターに対して「これだけで増えたってことはない。3.11とかで出動することで希望者が増えている」という旨の発言をしている。平林はこれに続いて「ふざけてると思う人もいるんですよ」と意見している。大竹は発言する土屋議員らを制して「自衛隊が出してるんだから!」と、自衛隊による広報活動を批判するような規制派をなだめた。これもアニメやマンガのキャラクターを用いた手法に対して(特に平林は)「偏見」があることの証左である。
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「キャラクター戦略」は今や常識となりつつあるマーケティング手法である。食べ物や飲み物にもキャラクターがついている。ご当地キャラもそうだし、球団マスコットなどずっと昔から存在している。駅やガソリンスタンド、スーパーマーケットに映画館。どこにいってもキャラクターは溢れている。自衛隊の広報がこれを採用したのも時代の流れだろう。

小池一夫のキャラクター新論 ソーシャルメディアが動かすキャラクターの力小池一夫のキャラクター新論 ソーシャルメディアが動かすキャラクターの力
(2011/05/25)
小池一夫

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実際のところ規制派は(阿川は本来であれば中立の司会だが)、かなり強い偏見を持っていることが明らかになった。「オタクは勉強もできない」「オタクは仕事も満足にできない」という、それが彼女らの中にあった”オタク像”なのだ。しかし、現代では一流企業に勤めるオタクもいれば、無職のオタクもいる。男のオタクもいれば、女のオタクもいる。親がオタクなら、子もオタクだったりする。勉強ができないから、恋愛できないから、仕事ができないからオタク、なのではない。いまやオタクは何処にでもいるのだ。

こういった規制派の姿をカットせずに放送した点では番組はそれなりに公平性があったと評価していいいだろう。(出演したオタクらによれば、ほかにカットされたところは多々あるらしいが)。江川・犬山・岡田は終始これらに「新しい文化なんですよ!」と唱えていたが、それが社会に広く認められていることを規制派もそう簡単に認めることはできない。



■対立する個人がない”オタク”という括り

結局のところ、こういった「オタク差別」「オタク叩き」「オタクバッシング」がなくならないどころか顕著になってきている背景には「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」といったものの特徴が見られる。実際のところ(番組内では個人に対しても差別的な態度や発言が多々あったわけだが)特定の個人に対して侮蔑的な発言や差別的な言葉を投げかけた場合には「名誉毀損」といった罪に問うことができる。しかし、「オタク」という広い括りであれば、どれだけ差別しようとバッシングしようと、侮蔑的な言葉を浴びせようと罪に問われることはないのである。

番組内でも平林や阿川が見せた態度や言葉は、無意識に「オタク」という全体像に向けられたものであって、目の前の個人を侮蔑したつもりはないのだろう。ゆえに平林も阿川も、野間口の「勉強している」「就職している」といった言葉に閉口してしまうし、土屋議員も「自衛隊員になって活動しているオタクがいる」ということに対して、しどろもどろになってしまうのだろう。彼ら彼女らの中にある「オタク」と、目の前にいる「オタク」が一致しないために、(自分の中の空想と現実との齟齬を埋めることができずに)、思考停止してしまい、差別意識を表明しようがないのである。


現代殺人の解剖―暗殺者(アサシン)の世界 (河出文庫)現代殺人の解剖―暗殺者(アサシン)の世界 (河出文庫)
(1991/11)
コリン ウィルソン

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作家のコリン・ファレルは著書の中で「禁止システム」について論じている。黒人が憎ければ、その憎悪(ヘイト)を強化し、正当化するために、黒人が悪いという理由をいくらでもでっちあげるというのだ。実際に平林や阿川らは「アニメを見るオタクは悪だ」という印象を強化し、「規制されるべきだ」という自己を正当化するためにオタクは「おかしい・勉強ができない・仕事ができない」といった理由を自分の中にでっちあげていた。これはまさに彼女らがオタクの実態を見ずに、印象によって自己の憎悪を強化し、正当化していたということを示している。

こういった強い憎悪を受けてか「殺人予告」を行ったオタクもいるらしいが、それすらも規制派のマッチポンプ(自作自演)ではないか、という疑念さえ湧いてくる。あるいはオタクヘイト(憎悪)で需要を作り出そうとする人間の画策か、いやいやこれは妄想がすぎる・・・(ロールシャッハ)。とにかく、こういった報復行為は自身(オタク)の首を絞めることにもなるので、自重されたし。
「もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ」ローマ皇帝 マルクス・アウレリウス
とかくこういうことがあると、「これだからオタクは…」と規制派に反論の材料を与えてしまう。報復や復讐ではなく、きちんとした「反論」をすることが望ましい。殴られたから殴り返すのは法治国家で言論の自由のもとで行うべき方法ではない。言葉の暴力もよくない。相手が野蛮な態度を示したからといって、それに応じていけない。紳士的な態度を忘れずにいきたい。少なくとも今回TVタックルに出演した規制派のような態度はとりたくないものである。



■まとめ

大きくまとめると、
  ・アニメと犯罪を関連付ける確証はない
  ・規制されるような表現は含まれていない
  ・堂々と売られている過激なアニメなどない

ということである。

このように”アニメが危険だ”という情報は報道によって偏向・捏造されたものだということがわかる。
もちろん、これまで述べてきたようにテレビ局側もそれを知らなかったわけではなく、”故意に”演出しているだろうことが推察される。討論内容については公平であったかもしれないが、紹介VTRには(アニメという観点から)事実ではないことが幾分か含まれていた。本稿ではその点と、規制派の論理的な問題点を取り上げて指摘した。

先述したが、冒頭で紹介したAERAも他の記事で偏向ぶりが指摘されている。
偏向してでも日本を「ロリコン大国」にしたいAERAと北原みのり氏のトンデモ記事
ただ、TVタックルでもそうだが、確かに実際に違法性の高い、あるいは違法なコンテンツが裏ルートであれ流通している現実もあるだろう。仮にそれを事実として報じるにしても、児童ポルノを誌面や放送に用いるわけにはいかない。で、あるならば「それっぽい」もので誤摩化すのも致し方がないことなのかもしれない。また児童ポルノであれば、実在する児童の人権を考えると堂々と公表することもはばかられる。しかし新聞王ウィリアム・ハーストのように「誤報や捏造でもいい」というスタンスが現代でも通じると考えているのならば、その考えは改めた方がいいだろう。

とにかく現代の日本は「規制がない、規制がない」と叫ばれているが、それでいて規制だらけなのが実態なのである。業界規制団体は、映画、ビデオ、ソフトウェア、放送、新聞、出版、インターネット、カラオケ、風俗、etc、etc...。これだけあるにも関わらず「規制がない」「野放しになっている」というのは本当なのだろうか。

誰がタブーをつくるのか? (河出ブックス)誰がタブーをつくるのか? (河出ブックス)
(2014/08/12)
永江 朗

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マンガやアニメやゲームも「わいせつ罪」で取り締まりを受けたり、各地の条例で規制されているのが現状である。最近では東京都の条例で「創作物」も表現規制の対象に入れられた。さっそく規制となる作品も出ている。土屋議員や北原みのりが言うような「堂々と売られている状態」というのは、どこにあるのか。コンビニのエロ本だって今はテーピングと区分と年齢制限がはっきりしている。

日本は海外から見ると「規制後進国」という言われ方をすることもあるが、「規制をしている」ことが先進的という発想はよい未来をもたらすのか。(そもそも「海外は~」ということの主張は信用できるものなのか)。本稿でも韓国のアチョン法の実例を紹介したし、スウェーデンの実態も紹介した。果たして「規制をしている」ことが先進的でよりよい未来を築いていると言える状態にあるのだろうか。「児童ポルノ」が禁止されているオーストラリアで創作物が取り締まりの対象になった事件があった。しかし、その後オーストラリアで大規模な児童ポルノが関わる事件が起きている。
(参照: 児童ポルノ禁止法改正へ マンガ・アニメは除外… “受け入れがたい描写”に海外メディアは苦言


テレビはこれでよいのか―元「アフタヌーンショー」リポーターの主張 (岩波ブックレット (No.52))テレビはこれでよいのか―元「アフタヌーンショー」リポーターの主張 (岩波ブックレット (No.52))
(1985/12/20)
ばば こういち

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TVタックルが視聴率のために注目度の高い案件を取り上げるのは当たり前のことである。そこを批判する必要性は視聴者には薄い(TV業界にとっては永遠の問題だろうが)。しかし、そこに偏向や捏造があってはならない。その点は厳しく批判していかなければならないと考えている。何故ならば、1980年代後半に宮崎勤による事件が起きて以来、何かしら残虐な事件があると「オタク文化のせい」にされてきた。オタクは内向的で反論もしてこないから差別やスケープゴートの恰好の的ということにされてきてしまったのである。

今回のTVタックルの報道を受けても先人は「またTVのオタク叩きか、やらせておけ」というような静観を決め込む態度であった。実際にそれはそれで必要な態度だろう。必要以上に騒ぎ立てることは相手に力を与えることにもなる。ある程度を過ぎたら黙って見ているほうが賢いといえる。しかし、反論するべきところ、否定するべきところ、批判するべきところは声にしていかないと結局はまた良いように差別やスケープゴートにされるだけなのである。そしてそれは自分たちだけでなく、あとに続く者たちにも注がれ続ける蔑視となる。そんなものを黙って見ていていいとは思えない。私は適度な反論や批判は行ってしかるべきだと考えている。そのうえで沈黙を守れるようになりたい。
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