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【ここがポイント!! 池上彰 解説塾】平沢勝栄が宮崎事件と児童ポルノについて発言

2014年9月29日にテレビ朝日系列で「ここがポイント!! 池上彰 解説塾~警視庁が選んだ大事件ランキング100 日本の警察がわかる3時間SP」が放送された。(以下、画像や発言の引用は他に指定がない限り、同番組からのものである)

その中でゲストとして出演していた、元警察官僚・自民党衆議院議員 平沢勝栄 が、『37位 連続幼女誘拐殺人事件(1989年)』の箇所で、池上の発言を受けて以下のようにコメントしている。
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(VTRが明けて: 発言引用ここから)


池上
「捕まったんだけど、なんでこういうことを起こしたのか。なかなか掴めない。本当にもどかしいというか、ショッキングな事件でしたね」

平沢
「あの、自宅を捜索したときに何か児童ポルノみたいなものがありまして、児童ポルノを持っているような人っていうのはやはり”何らかの形でこれは影響を受けるんじゃないか”ということの、ひとつのきっかけの事件でもあるわけですね、これは」
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伊集院
「一方こう、ちょっと”オタク叩き”みたいな、ものすごい傾向も加速されて、それまであんまりオタクとかマニアって、そこまで悪い言葉で使われてなかった気がするんですけど、これをきっかけにどんなビデオでも”ビデオ集めてる奴はおかしい”みたいな論調のほうも、ちょっと進んだんだよ。なんか、そのへんの分け方はちゃんとしないと」
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池上
「だから、もちろんねえ、あの、ビデオを色々集めてる人はいくらでも居るわけで。で、あれ(*宮崎勤が所持していたビデオテープ)見たら大半は”普通のビデオだった(番組テロップ:多くがテレビ番組を録画したもの)”と、言われていますよね。だけど一部のものがあって、特に”何でlこんな事件起こしてしまったんだろう”っていうので、あまりにこう”簡単に結びつけてしまったんじゃないか”という反省もまたあるわけですけれど」
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伊集院
「まあ、それだけ衝撃的で恐ろしかったことですよね。得体の知れないことが、まあ、起きたっていう感じだったんでしょうね」

池上
「そうですね」


(次の事件のVTRが始まる: 発言引用ここまで)



平沢議員は土屋議員ほど「児童ポルノと犯罪に関わりがある」という断定的な言い方はしていないが、世論として「児童ポルノを所持する人間が犯罪を起こすのではないか」という認識があったことは述べている。しかし、ここでもやはり表現物が犯罪に関わりがあるという科学的な論拠や確たる証拠が挙げられることはなかった。それでもやはりメディアを通じて大々的に関わりがあるように報じられるのである。

平沢議員が述べたような「児童ポルノと犯罪の関わり」という印象論は未だ根強いが、その確たる証拠や論拠は決して挙げられることがない。事件後25年が経った今でも宮崎勤が所持していたビデオテープと事件との科学的な因果関係は示されていない。その他の残虐事件とマンガ・アニメなどの相関関係も挙げられてはおらず、ただただ「凶悪事件とオタク」という印象論だけが一人歩きしているのである。

こういった世論の印象付けは、池上や伊集院が述べているように、あまりに残虐で不可解な事件が引き起こされたために、何とかそれを理解しようと世論が理由付けとして”こじつけた”のが、「児童ポルノが悪い」といったものであると考えられる。しかし、世論に漂うこの不安は単なる「児童ポルノ」にとどまらず、マンガやアニメ、ホラーやスプラッターという通常の作品にまで及び、やがて「オタクが悪い」という印象論にまで発展したのだろう。

平沢議員の無根拠な発言もその影響を受けたものと考えて差し支えないだろう。結局のところ、科学的な論拠も、因果も相関も、何も示されない「オタクは犯罪者予備軍」という論理が印象論の域を出ることはない。しかし、その恐怖や不安は凶悪な事件とともに人々の中に根強く残っているのであり、現代にも受け継がれていることが平沢議員の発言からも窺える。
(参照: 【宮崎勤事件】読売新聞記者による“真相”告白

さらに児ポ法に関して、『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』を見ると、児ポ法が制定されたのは1999年で、制定されるきっかけとなったのは1996年にストックホルムで開催された『第1回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議』で、日本の性風俗の乱れが強く非難されたためであるとされており、特定の事件が法律制定のきっかけになったという記述は他にも見ることができない。

世論の風潮としてマンガ・アニメやホラー・スラッターといった作品への風当たりまで強くなったのは、ゲスト・伊集院光の話す通りだが、宮崎勤の起こしたような事件が「法規制のきっかけになった」という事実はない。正式な法律として動き出したのは上記のストックホルム会議からだとされている。



なぜ政治家は事件と表現物を関連付けたがるのか

これは土屋議員への言及部分でも触れたことだが、表現物が犯罪と関わりがあると考える人たちは少なくなく、そういった世間の不安を煽り、その不安解消を公約にして、票数を得ることは政治手段として有効なものとなる。これはテレビなどのメディアにおいても同様で、人々の恐怖は数字になるのである。以下の書籍ではイギリスのメディアが無根拠に「インターネットには児童性愛者が五万人いる」ということを喧伝し、様々なところで利用している実例が挙げられている。だが、その「五万」という数字は実態がないものだった。

リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理
(2009/05/22)
ダン・ガードナー

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”『デートライン』が話しかけた専門家は、FBI捜査官ケン・ラニングだった。NPRがラニングにこの重要な数字について尋ねると、彼は言った。「どこから出たものか知らなかった。正しいとは言えなかったけれど、間違っているとも言えなかった。でも、かなり納得できる数字だという感じはした」。ラニングは奇妙な一致にも触れている。五万という数字は、近年起きた少なくとも二つのパニックにおいて鍵となる数字として出てきた。一九八〇年代初頭に、この数字は見知らぬ人間に毎年誘拐される子供の数字とみなされていた。1980年代の終わりには、悪魔崇拝カルトによる殺人の数だった。こういった主張は当時広く報じられ信じられたが、繰り返し話されるうちに「事実」となったヒステリックな憶測に過ぎないことがのちに明らかとなった。(「リスクにあなたは騙される-「恐怖」を操る論理」 ダン・ガードナー 2009年 早川書房 文庫版64項より)”

こういったルーツの「憶測」であっても、それが事実あるように報じられ喧伝され続ければ、人々の間でまるで事実のように信じられてしまうのである。人は必ずしも与えられた情報のソースを辿るようなことはしない。自分の認識にあった情報があるとそれを容易く信じ込んでしまい、「自分の直感(考え)は正しかったのだ!」と、自己の発想や思想の強化に当てしまう。これが徐々に偏った思考をするようになる原因でもある。(この記事でいえば、政治家やメディアは数字稼ぎのために偏向しているという見方が強いかもしれない…と、こういった自分への疑心は常に抱かなければならない)。

日本でいえば上記の例はまさに宮崎事件に代表されるような「オタクは犯罪者予備軍」という考え方だが、これは政治やメディアで広く利用されている印象論である。だが、やはり何十年もいわれているにも関わらず、その根拠が示されることはない。これもパニックから起きた「憶測」の拡散にすぎないのである。そしてそれが現代ではまるで「事実」のように語られてしまっている。ここで私たちはいま一度「それは本当に正しい情報なのか」ということを問い正していかなければならないだろう。番組内でも様々な凶悪事件が紹介される中で、平沢議員が事件と児童ポルノなどの関連性を指摘したのは、宮崎事件のみであった。そしてそれも根も葉もない「憶測」であったことが、その場で指摘されている。「オタク」は本当に犯罪者予備軍なのだろうか?

【2014.10.06 追記】

2013年7月、児ポ法改正の前に、この動画の中で平沢議員は創作物の規制も必要だと訴えているが、その論拠は「海外では規制している」というものしか出てこない。それがなぜ必要だったのか、その科学的な根拠、その結果どうなったのか、といった点が全く語られていない。実際に日本でも法規制を導入すれば犯罪の抑止や減少に効果があるという実証も展望すらも出てこない。本当に創作物の法規制は必要なのだろうか? 改めて疑問に思う。
(参照: 山田太郎 公式ブログ - 児童ポルノ規制法改正案に反対する議員として産経新聞に取り上げられました。



根拠なく行われたコミックブックの焚書

現代の「オタク文化追放」といえる、「悪書追放運動」は日本では終戦後の1950年代、増えた漫画本に対して婦人会が焚書を行っている。漫画本の焚書は、日本以外でも見ることができる。アメリカでは日本よりもさらに以前、1940年代にコミックブックの焚書が行われている。

有害コミック撲滅!――アメリカを変えた50年代「悪書」狩り有害コミック撲滅!――アメリカを変えた50年代「悪書」狩り
(2012/05/25)
デヴィッド・ハジュー

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最初のコミックブック批判は1910年代、ジョン・フランシス・ノル司教によってなされた。カトリックの教えに背くようなコミックブックの内容を非難した。1940年代は、スターリング・ノースによって行われた。だが、それは粗悪な読み物を好む下級階層への偏見の現われでしかなかった。ロバート・E・サザート教授もコミックブックに異を唱えたが、その論理には”コミックブックは低俗なもの”という結論への飛躍が見られた。FBIのJ・エドガー・フーヴァーは少年非行の統計を出したが、その統計には偏りがあることが指摘された。精神科医のフレデリック・ワーサムはたった1つの事例だけを取り上げてコミックブックと少年犯罪の関連性を説き、14歳の少年にさえ論理性のなさを強く反論された。コミックブックへの批判はいずれも根拠に乏しい憶測や決め付けでしかなかった。ワーサムに反論した、コミックブックを愛する14歳の少年にさえ、規制派の大人たちは「コミックブックを読んでいる子どもがこんなに聡明なはずはない」という偏見をあらわにした。

1940年代後半、いくつかのカトリック教区で子供たちの手によって焚書が行われる。大人たちは子供たちにコミックブックを忌むべきものとして破棄するように願った。子供達はニューススタンドのコミックブックの不買運動をすると、家々を回りコミックブックを集めると学校の焼却炉で火をつけて焚書した。現場の写真の中には悲壮な表情を浮かべている子供もいる。著書の中で筆者は以下のようにこれを批判している。

”これは、自分が愛するものを自ら護るには気が弱すぎる子どもたちを利用した反動的なおとなたちが、傀儡的に子どもたちを支配して行わせたものだった。(「有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り」 デヴィッド・ハジュー 訳:小野耕世・中山ゆかり 2012年 岩波書店 139項より)”

コミックブックに批判的な大人たちは、子どもたちに「コミックブックは悪いものだ」と吹き込み処分させる。だが、それがどのように悪いのか、どこが悪いのか、そういった理由は何も明かされないままだった。上述したコミックブック糾弾のきっかけとなった多くの批判さえ、明確な根拠を示せないまま世論を後押ししたのである。明確な理由がなくとも、世論を動かして何かを撲滅に向けることは可能なのである。アメリカのコミックブック糾弾の背景にあったのは「コミックブックが子どもたちを非行に走らせるのではないか」という漠然とした不安と偏見だけであった。



なぜ人は論理的な思考を行えないのか

「わいせつ罪」「悪書追放運動」「児童ポルノ法」「青少年健全育成条例」と、創作物を取り締まろうとする運動は歴史を振り返ってみても潰えることがない。これら運動の後押しをしているものは漠然とした「不安」にあるといっていいだろう。「悪書」が人々に影響を与えて残虐な事件を引き起こすのではないか? メディアや専門家もそのように言い立てる。

それはある一面においてそうだろう。もともと犯罪の素質をもった人間が、そういったものに触れれば「悪い影響」を受ける可能性はある。しかし影響を与えるというのならば、マンガやアニメに限った話ではないし、「影響」だけで論ずるのであれば「悪い影響」がある反面、「良い影響」があるだろうことも無視できない。「悪い影響」だけがあるとは言えないのだ。だがその科学的根拠や相関は明らかになっていない。

しかし、人々は「悪い影響」に心を捉われる。いかに科学的な根拠がなかろうと、法的に規制されることで自由を失うことになろうとも、漠然とした「不安」を振り払うことに理屈はない。理屈ではなく何とかしたい、何とかできるという思いだけがある。こういった傾向が反対派から「規制派は感情論にすぎない」と指摘される原因だが、人類史に見られる「魔女狩り」のように、人々の恐怖から起きる断罪は現代に限らず数多く存在している。

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人間は脳内に2つのシステムをもっており、それは「二重過程理論」と呼ばれている。直感的な処理をする「自立的システム」と、論理的な処理をする「分析的システム」に分けられる。

ある実験では、まず被験者にチョコレートを食べさせる。次に被験者には形だけ「大便に似せた」チョコレートを食べるように促す。しかし、被験者の多くが、これがチョコレートだと理解しながら食べることを拒否した。論理的に考えれば同じチョコレートであり、食べることを拒否する理由はないのだが、見た目から受ける印象により直感的に食べることが躊躇われる。

他には、美味しい物を前にして、口の中に唾液が溜まったところを想像してほしい。ごくりと生唾を飲む。では、その唾液を一度グラスに吐いて、もう一度口に含んで飲んでほしいと言われたらどうだろうか? これも論理的には同じ自分の唾液であって、グラスに不純物があるわけでもなければ、もう一度それを飲むことに抵抗はないはずである。しかし、これにも抵抗を覚える人は多いだろう。このように人間は「二重過程理論」において、論理的に「分析的システム」を働かせるより、「自立的システム」に頼って判断することが多い。

他にもギャンブルなどを見た場合、コイン投げで「裏・裏・裏」と続いた後には、「そろそろ表がくるだろう」と考えたり、野球でヒットのないバッターに「そろそろヒットが出るだろう」という予測を立てる場合がある。しかしこれも統計や確率といった論理的な判断としては誤ったものであることが容易に理解できるはずだ。何回コインを投げようと、確率はそのつど「1/2(50%)」であり、何回裏が連続しようと、次に表が出る確率に変化はない。もし変化があるように感じたら、それは人間の直感的な「自立的システム」による錯覚に過ぎない。

あるいはギャンブルをして損をしたときには、「でもパチンコは楽しかったし」「競馬は興奮したし」というように、「損をした分、何らかの代償を得た」と自己を動機づけ正当化する傾向がある。そもそもギャンブルをしなければ損はしなかったし、他に楽しいことがあったかもしれないのに、そういったことを考えるのを避ける。これを「認知的不協和」という。俗に言う「酸っぱいブドウ」の話である。

カーネマンとトヴェルスキーは、病気に対する対策を例に、ケース別に被験者に問いを出し、A or Bと、C or Dの解答を求めている。実はこの実験では、数学的にはAとC、BとDの数字が同じになるようにできていて、Aを選んだ者はCを選び、Bを選んだ者はDを選ぶようになっている。しかし、ある「問題の出し方」によって、被験者の解答はA,Dに偏ることが明らかにされている。

つまり解答が同じである以上、Aを選んだものはCを選ばないとおかしいことになるのだが、実際にはA,Dという解答が多くなったのである。もちろんこれは問題の出し方にコツがあるのだが、これも「二重過程理論」が正しく論理的な判断が行えないことを証明している。カーネマンとトヴェルスキーは、「人間は得をするフレームではリスクを避け、損をするフレームではリスクを冒そうとする」と解析し、これを「フレーミング理論」と名付けた。

心理学者ポール・スロヴィックは、ある精神疾患の患者を退院させるべきかという仮想のアンケートで、「A:彼のような患者が退院して再び暴力を振るう可能性は20%である」「B:彼のような患者は100人中20人が退院して再び暴力を振るう」という2パターンの言い回しを使った。Aの説明を受けた人々は21%が退院に反対し、Bの人々は40%が退院に反対した。
もちろん、これは言い回しが違うだけで数学的には同じである。これも認知バイアスから抜け出せない例として紹介されている。ちなみに、このアンケートに答えたのは法廷で意見を述べるプロの専門家集団とされている。つまり、素人にアンケートをとったわけではない。

他にも「アンカー効果」は、人々の認知バイアスに影響することが実証されている。トマト缶の安売りで値段だけを書くと大体の人が1〜2個のトマト缶を買うのに対して、「1人10個まで」と添えると大体の人間が10個に近い数を買うようになる。これはほんの一例にすぎないが、このように人は事前に出された数字や条件に「引っ張られる」傾向にある。
これを利用すれば、「xxxの影響で犯罪が起きている」と言えば、人々は犯罪の原因を「xxxのせいだ」と思うようになる。実際には犯罪と物事の間に明確な相関が明らかになることなど、まず考えられない。

このように、人はおよそ正常な判断をすることが難しい。よくよく考えたり、理屈を理解したうえでもそれを承服できなかったり、自分を正当化したり、別な理屈付けをしようとする。こういったことが規制派が指摘される「感情論(論理的でない判断)」の元ではないだろうか。
これらは後日さらに突き詰めて考えたい。しかし、これが実証されたとしても、おそらく表現規制問題の解決にはならないだろう。人の心から恐怖が消えることはない。
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