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【岡山倉敷女児監禁事件】アニメポスターなどの報道は必要か?

2014年07月19日、岡山県倉敷市で行方不明となっていた女児が5日ぶりに保護された。女児は男に車で連れ去られ、男の自宅に監禁されていた。警察が男の自宅に突入し、女児を無事に保護している。警察の突入時、監禁されていた女児は部屋でテレビを見ていた。同室に居た男は特に抵抗も無く、警察に連行されている。

さて、警察が突入したときに女児はテレビを見ていたということだが、日本テレビの『情報ライブ ミヤネ屋』では、2014年07月21日・22日と続けて、女児が見ていたのは「アニメ」だったと報じられた。

さらに、ミヤネ屋では「何のアニメだったか」まで具体的に報じている。週刊少年ジャンプで連載され、アニメ化もされている『BLEACH(ブリーチ)』のDVDとコミックの画像が映し出されて報じられている。女児が見ていたテレビ番組のジャンルが何であるかを報じることはまだ許容の範囲内かもしれないが、事件と直接に関わりのない作品名を具体的に報じることの意味や意義はあるのだろうか?

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(日本テレビ 『情報ライブ ミヤネ屋』 2014年07月21日 より)
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(日本テレビ 『情報ライブ ミヤネ屋』 2014年07月22日 より)


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たとえば、この作品が犯罪の決定的な動機となったのか、「黒子のバスケ脅迫事件」のように事件と直接的な関わりを持っていたのだろうか? この作品に対して、ミヤネ屋の中ではそういった言及のされかたは一切なされていない。またこれが、どのように犯罪と関わりがあったのかについても、まったく語られていない。どの部分が問題だったのかも報じられていない。ただ「女の子が見ていたアニメは『ブリーチ』だった」というだけである。それならば、わざわざ作品名を出す意味があるのだろうか。犯罪と関わりがあるように報じられた作品への風評被害が生じることが予測されるが、事件と関わりがなく、風評被害を生むだけの報道に意味はあるのだろうか。



少女アニメのポスターの報道は必要か?

事件が解決した当時も各局では繰り返し「犯人の自室*には大量の少女アニメのポスターが貼ってあった」と報じられている。(*犯人宅の二階にある男の自室、一階にある少女が監禁されていた部屋とは別)。このことは警察当局ではなく、地元のリフォーム業者の口からテレビを通じて明らかにされている。

2014年07月21日、22日に放送された、フジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』では、「自称イラストレーター」として紹介されている犯人像の一部として、男の自室に少女アニメのポスターが貼られていると地元のリフォーム業者のインタビューを通じて報じられた。尚、犯人逮捕時に誘拐された少女が見ていたTVの内容については、21日時点では「テレビアニメ」とだけ報じられ、22日時点でも「イケメン男性が主人公の少年漫画のアニメビデオ」とだけ紹介されている。上述したミヤネ屋のように具体的な作品名までは挙げていないが、報道の内容としては充分だといえる。

男の部屋の中に少女アニメのポスターが貼られていたという報道も、男の「自称イラストレーター」という人となりを紹介する意味では必要だったかもしれない。だが、これによってイラストレーターという職種や、アニメのポスターを貼る趣味にまで警戒心や異常性を見い出すようになられたのでは、風評被害と言わざるを得ない。やはりここでも犯罪との因果関係を証明できない、「少女アニメのポスター」という要素を報道したことが果たして本当に必要だったのか考えさせられる。

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(フジテレビ 『情報プレゼンター とくダネ!』 2014年07月21日 より)
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(フジテレビ 『情報プレゼンター とくダネ!』 2014年07月22日 より)

2014年10月07日に放送された、フジテレビ『スーパーニュース』では、事件後に初めて行われた犯人の公判についてのニュースでも地元のリフォーム業者へのインタビューを通じて「男の自室には少女アニメのポスターが貼ってあった」と報じている。前回ほど「自称イラストレーター」という要素についても触れておらず、「少女アニメのポスター」という報道の必要性が見えてこない。また前回はインタビューされたリフォーム業者の「10枚程度」というポスターの枚数に関する発言も変わって、「床、壁、天井それぞれに満遍なく」というものになっており、再現VTRの映像も明らかに10枚以上のポスターが貼られている。

そして、やはりここでもそれらポスターと事件との間における因果関係は説明されなかった。イラストレーターとしての人物像を説明するためでもなく、事件との因果関係を説明するためでもない。ならば何故これらを映像に含ませて報じる必要があったのか。こういった点で徐々に「アニメと犯罪」を関連があるように演出して印象操作するのが最近のマスメディアの特徴でもある。そして、事実であれ虚構であれ、マスメディアがこういった手法に傾向するということは、それを見る視聴者が、そういった報道を求めているのであり、テレビ局側は視聴率を得るためにより傾向していくという背景もある。

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(フジテレビ 『スーパーニュース』 2014年10月07日 FNN版より)



また、テレビ版の放送では、スタジオ内で事件への言及も行われたようである。



メディアは犯罪を誘発するのか?

80年代後半から、こういった事件にアニメやマンガなどが関わると、とかく「マンガ・アニメ・ゲームが悪い」といった言われ方をするが、これらが犯罪において決定的な要因になるという科学的なデータは何ひとつ示されていない。今回のFNNの報道でも、先のミヤネ屋の報道でも、具体的な作品名や「犯人の自室には少女アニメのポスターが貼ってあった」という報道がなされても、それが「事件とどう関わりがあったのか」という点については一切触れられていない。ただ情報を流し、事件とアニメの関連を印象付けるだけの作りになっている。

そういった「アニメと犯罪」という論調が生まれるきっかけになった「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」でも、ビデオテープのコレクションやコミック雑誌などが槍玉に挙げられている。しかし、実際には犯人である宮崎が所持していたビデオテープの大半が、通常のテレビ番組を録画したものであり、一部であったコミック雑誌などが大体的に取り上げられたのは、マスコミによる印象操作だったことが明らかになっている。
(参照: 【ここがポイント!! 池上彰 解説塾】平沢勝栄が宮崎事件と児童ポルノについて発言
(参照: 【宮崎勤事件】読売新聞記者による"真相"告白

これ以降、90年代から増え始めた「オタク」というジャンルへのバッシングは密やかに、だが確実なものとして育っていく。もともと「根暗で気味が悪い」という印象を抱かれがちなマニア層は、世間から差別対象となるのに充分な素質があったといえる。無論、差別などしていいわけがないが、それが通じない人間が世に多いのも否定できない。そして「差別をしたい人」にとっては、理由は後付けでよいのであって、「気持ちが悪い(気に入らない)」相手がたまたま「オタク」というジャンルであったにすぎない。

さて、マンガ・アニメ・ゲームといったメディアが人々に影響を与えるのか。影響の有無でいえば、影響はあるだろう。「キャプテン翼」というサッカー漫画を読んで、サッカーを始めたというプロのサッカー選手の話を聞くことも今や少なくない。こういった逸話は日本に留まらず、海外から聞かされることもある。では、同じように創作物に影響されて犯罪を犯す人はいるのだろうか?

ここで「いる」と答えてしまえば、「ではその科学的な根拠は」と尋ねられてしまうが、先述したスポーツ選手と同じように「影響を受けることはある」…だろうが、では、その「影響」が果たして「決定的な犯行の要因」となりうるのだろうか? マンガを読んだ善良な市民が突然に罪を犯すのだろうか? 例えば、包丁やナイフは市販の雑貨店などで購入することができる。刃物を持つと肉を切ったり刺したりできる。しかし、刃物を持つ多くの人間は、それで人を刺したり殺したりはしないだろう。調理やキャンプなどで使うだけだ。

同じようにマンガ・アニメ・ゲームなどで「影響」を受ける人間がいるにしても、実際に犯行に及んでしまう人間はごく一部に限られるのである。凄惨な事件が引き起こされると、私たちはとかくそれに印象付けられてしまい、その「ごく一部」の犯罪者を、まるで「全体」のことのように感じてしまう。しかし、実際には「少女アニメのポスターを部屋に貼っている人」は、今回の事件の犯人の他にも大勢にいるはずで、そして、その人達の多くはごく普通の生活を送っているはずである。

「サイレント・マジョリティ(沈黙の大衆)」という言葉があるが、マンガ・アニメ・ゲームと犯罪についても、マンガ・アニメ・ゲームを嗜んで罪を犯す人間よりも、罪を犯さない一般人の方が圧倒的多数なのは明白である。だが、それら一般人が表面化することはなく(普通に暮らしているのだから目立たなくて当たり前である)、そして犯罪を犯して表面化する「ごく一部」が代表的に取り上げられることで世間から問題視されるのである。



ごく一部のために規制は必要か?

前述してきたように、たとえ表現物に影響があるにしても、それによって実際の犯行に及んでしまうのはごく一部の人間に限られるといえる。しかし、昨今では、そのごく一部のために全体の規制が必要だと唱えられ、政治的に法規制が行われようとしている。

具体的には2014年6月に改正された通称「児童ポルノ禁止法(児ポ法)」だが、この中で「(実在児童に被害のない)創作物であっても児童を虐待、または性的に扱うことは禁止する」という旨の調査研究が盛り込まれようとしていた。しかし、この法案については反対が多数で却下されている。他にも現在も施行されている「青少年健全育成条例」がある。これは特に東京都のものが有名だが、実際には各都道府県にあって、それぞれ独自の規制体制を敷いている。これも近年、法制化しようという計画が進められている。
(参照: 青少年健全育成基本法の制定に関する請願 平成26年9月29日

こういった世情がありながら、何とか創作物は大規模な法規制を免れているのが現状である。だが、それも長くは続かないように思える。何故なら世間は前述してきたようなマスメディアによる印象操作によって、「マンガ・アニメ・ゲームがいけないのではないか」という無根拠で漠然とした不安を感じてしまっているからだ。恐怖は人を支配する。恐怖から逃れるためにマスメディアに煽られてた人たちは、理由なく「マンガ・アニメ・ゲーム」といったメディアを規制しようとするだろう。しかし、様々な犯罪者がいるように、様々な犯罪の理由・動機・原因があるのであって、マンガ・アニメ・ゲームといった、たったひとつの要素を規制しただけで犯罪がなくなるということはない。

では、先ほども触れたが、実際に「メディア(情報)」が人に影響を与え、それが人の行動を変えたり、操作する決定的な要因となりうるのだろうか? もちろん、そんなことはありえない。何度も言うように「影響」はあるだろうが、決して「要因」にはならない。ナイフや銃弾が殺意を抱かないように、マンガ・アニメ・ゲーム自体が殺意を抱いて人を殺すことは決してない。何に影響されたとしても、最後に人を殺すのは、あくまでもその人間の意思と行動に他ならない。

影響については他に、例えばマスメディアによって不安感を煽られている世間はまさに「オタクは犯罪者予備軍である」という情報に影響されていることになるだろう。なにせ、事件とマンガ・アニメ・ゲームといったものの関わりは、結局は何も語られていないのだから本来であれば非難するに値しない。だがそれでも、人々はオタクを差別しバッシングして、マンガ・アニメ・ゲームを犯罪の原因だと決め付ける。だが、決め付けているのはマスメディアから与えら得る情報によってではない。見ている人間の意志によって決定されているのである。同じ報道を見ている私だが「マンガなどは犯罪の決定的な要因にならない」と考えている。つまり、この差がまさに「同じ情報であっても、それを捉える人間によって違いが生じる」ということなのである。

そして、マンガ・アニメ・ゲームという媒体であれ何であれ、メディアから影響を受けて罪を犯してしまう人間は、もともと自分の中に何らかの「罪を犯したい」という欲求があり、その強化や正当化のためにメディアが使われるにすぎない。オタクに対して「犯罪者予備軍」だと思いたい人は、おそらくそういった報道がなされる前から、オタクに対して否定的な意識を持っており、報道によって流された情報はその素質部分を強化するためのものでしかないのだと推測できる。

今回の岡山県倉敷市女児監禁事件でも犯人は警察の供述に、「少女に興味があり、自分好みの女の子に育てたかった」と答えていると報じられている。つまり、犯人はもともと少女に興味関心があったのであり、少女アニメなどはその思想を強化するためのものでしかなかったのあれば、犯罪の動機といえるものは元から犯人の中に内在していたのであって、アニメやマンガによって想起されたものではないと判断できる。そうであるならば、仮にマンガやアニメがなかったとしても、現実の女児を見ただけで犯罪の思想が助長された可能性は高い。オタク文化の発展する戦後以前、戦前よりずっと昔から犯罪は引き起こされている。そしてそれは現代よりも多い。

他にも、同番組内では近隣の住民へのインタビューでアニメに関わる発言を報じている。犯人の中学時代の後輩とされる人物が「何回かアニメ雑誌が、ああいうものが家の前にあったりしたのを見たんで、”ああ、そういう風な感じなのかな”と……」と取材に答えている。だが、やはりこの発言と犯罪とを関連付ける根拠などは番組内では一切示されておらず、説明もされていない。ただただ、こういった偏見を垂れ流し、「アニメと犯罪」という偏見を広めるに過ぎないのである。
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(フジテレビ 『情報プレゼンター とくダネ!』 2014年07月22日 より)

仮に表現物が与えた影響が犯罪の決定的な要因だったとしよう。で、あるならば、悪いのは影響を与えたマンガ・アニメ・ゲームであって、罪を犯した人間は悪くないということになるのだろうか? 酒を飲んで運転し、事故を起こしたら、悪いのは酒であって、事故を起こした人間ではないのだろうか? いま私たちの社会でそのような司法の在り方があるだろうか? 犯罪はメディアによって引き起こされているのか、それとも人間が起こしているのだろうか。



メディアは酒や煙草のように制限されるべきか

犯罪を犯す人間は、もともと成長の過程で犯罪を犯す素質や環境が育つのであって、そこに加わる「影響」は何によってもたらされても同じなのである。つまり、マンガやアニメを規制したとしても、まったく別の何かから影響を受ければ結局は罪を犯すだろうし、影響を受けなくても自分の意志でやがては罪を犯すかもしれない。この心配や不安は残念ながら何処まで行ってもゼロにはできない。どれだけ安全性を高めても事故そのものがなくならないのと同じである。

しかし、実際にゼロにはできないといってもリスクを減らすためならば、マンガ・アニメ・ゲームを規制することは必要ではないか。…と、ここまで読んできても、そう考えることだろう。現在、実際に規制されているものについては、酒・煙草・薬などがある。これらは一定の条件化では使用できるが、一定の条件化では使用できない。つまり、完全にではないが規制された状態にある。マンガ・アニメ・ゲームなども、わいせつ基準で制限はある。

では、酒・煙草・薬と違って、マンガ・アニメ・ゲームの規制はなぜ完全な支持を得られないのか? やはりそこが「科学的な根拠に乏しい」という点である。快楽が得られるにしても酒・煙草・薬が制限される理由として、「身体に明らかに影響がある」という点が挙げられる。医学的にも過剰摂取や長期間の服用によって、生命が脅かされる危険性があるといったことが証明さている。ゆえに、これを制限しようという意見が広く認められるところとなるのである。だが、マンガやアニメが科学的に「犯罪の要因となる」という決定的なデータは発表されていない。これも先述してきたように、犯罪の要因・動機などは人によって様々なものがあるからである。

また、マンガ・アニメ・ゲームなどの他に、テレビ・ラジオといった娯楽も「子どもの学力を低下させる」といった理由で40年近く前から批判されている。しかし、結局のところテレビやラジオを完全に排除することはできない状態にある。あるいは、その中にあるバラエティ番組やアニメなどを排除することもできていない。これもやはり排除するに値する相当な理由と根拠が長年示されていないからである。宮崎勤事件にしても、「オタクは犯罪者予備軍」というレッテル貼りが盛んなのに対して、25年が過ぎた今でも、宮崎勤の持っていたビデオやコミックと彼の起こした犯罪との因果関係は調査や研究がされることもなく、事実が語られることもないのである。だが、マスメディアはオタクと犯罪を関連付けたがる。

メディアも「わいせつ」による制限は受ける。いわゆるR指定に代表される18禁などで、未成年者はわいせつな表現を需要することができない。しかし、このわいせつによる規制も、古くに制定されたものであるが、実質的に科学的な証明や根拠は持たされていない。「社会通念」という、いわゆる「常識」によって良いか悪いかが、その時代によって決められているにすぎない。この曖昧な規制の根拠がわいせつなどの表現規制と、酒・煙草・薬などの規制との明確な違いである。



ゾーニング(区分)では不充分なのか?

よく「法規制を敷かなくとも、販売の区分ができていれば充分ではないのか。それが不充分だというのならば、法規制よりも区分けの強化が先決ではないのか」といった意見を目にする。販売区分は確かに重要なのだが、例えば青少年健全育成条例のように「子どもに見せたくない」ということに対してであれば区分けは有効な手段であるといえる。しかし、「犯罪の抑止」という意味では、成人であっても犯罪の素質を持った人間に見せたくないのであって、「未成年以外が見たり読んでもいけない」ということになるのである。

つまり、犯罪の素質を持った者に、影響のあるメディアを見せないためには「年齢による区分」では不充分であり、社会全体の法規制が必要だということになるのである。では、そういったごく一部の限られた存在のために、大勢のマンガ・アニメ・ゲームの利用者の自由が妨げられることは許されることなのか。それは理不尽ではないのか。何故、そんな理不尽な意見がほうぼうでまかり通ってしまうのだろうか。

答えは、規制しようとしている人たちにとってマンガ・アニメ・ゲームといった娯楽が自分の生活と関わりのない「無くなっても構わないもの」だからだろう。包丁や車が危険でありながら社会からなくならないのは、それを使う利便性が犯罪の起きる危険性を上回るからに他ならないだろう。事故を防止するために明日から自動車が無くなったらどうなるだろうか? 私たちの生活は途端に不便さが爆発する。

しかし、マンガ・アニメ・ゲームといった「娯楽」は、「必ず要る」ということはない。娯楽とはあくまでも余暇を埋めるためのものであるというのが世間の認識だろう。(趣味のために生きるのがオタクであるのだが)。ゆえに「オタクではない人々の常識」からすれば、オタク文化などというものは「なくなってもいい」のである。つまり、自分達の生活に関わりがないのだから消えてなくなっても支障はないというのである。しかし、それは反対の立場に立てば、賑やかな場所が苦手な人間にとって新宿や渋谷のような場所は必要ないし、消えてしまってもいいということになってしまう。だが、世間がこの矛盾を気にすることはない。オタクは迫害して「いいもの」なのだ。

そういった風潮を拡大させているのが上述してきたようなマスメディアにおける無根拠な「オタクと犯罪」というミスリードだろう。世の中に犯罪者はたくさんいる。現代ではマンガ・アニメ・ゲームを嗜む人間も多い。自然とその中から犯罪者が生まれることも珍しくないだろう。もはや私たちの生活にオタク文化はあまりにも自然に溶け込んでしまっている。その自覚がないだけだ。野球やサッカーといったスポーツファンの人間も多いだろう。その中から出てくる犯罪者も多いだろう。では、野球やサッカーが「犯罪を誘発する因子」となるのだろうか。

「マンガやアニメが犯罪を誘発する」という論理は、他の何に置き換えても成り立つ。例えば「スポーツカーやF1、そのテレビ放送は視聴者に影響を与えて、スピード違反や暴走といった交通事故を引き起こす原因になる」「犯罪を報道するニュースは犯罪の傾向や手口を犯罪の素質のある人間に教えてしまっている。危険だ、放送を中止しろ」「新聞は断片的な情報で世論を誘導するから無くしてしまうべきだ」…と、これらの話を「馬鹿な話」だと思うのなら、もう一度「アニメやマンガは犯罪を誘発して危険だから、法律で規制するべきだ」という意見のおかしさに気付いてもらえると思う。



良い影響と悪い影響の両方をどう捉えるべきか

酒や煙草は嗜好品として楽しまれている反面、依存症や一時的な精神の高揚などが問題となる面もある。では、その悪い面だけを取り出して規制した方が世の中はよくなるのだろうか。アメリカでは禁酒法が制定されていた時代がある。しかし、実際に社会がよくなることはなく、酒が街から消えることもなかった。結局は密造酒や闇ルート、マフィアの拡大や警察の汚職という腐敗を生んだだけだった。それであるならば、多少は許容する代わりに公的にコントロールした方がよい、というのがアメリカの禁酒法から学ぶことができる教訓である。

包丁や車も事件や事故が引き起こされるきっかけになるかもしれない。しかし、制限してしまえば不自由が生じる。そのために社会はリスクを飲み込んで内包するしかないのだが、それよりもさらに犯罪との直接的な関わりが証明されていない、マンガ・アニメ・ゲームを「(世間一般にとって)必要ない」という理由で無根拠なまま法規制させてしまっていいのだろうか。現実には犯罪になってしまうような行為を、表現物を消費することで満足させる人間もいるだろうし、それが犯罪を抑制しているという仮説も立てられている。その反面で表現物が犯罪を誘発しているという仮説もある。


(この作品を見て、「満足するか、実際の犯行に及ぶか、気持ち悪いと思うか」といった反応は分かれる)

しかし、この二つの仮説は長いこと実証されないままになっている。どちらを証明にするにしろ、構造的には同じ「それ単一によって引き起こされた行動なのか」という観測が不可能であるためだ。マンガやアニメが犯罪を誘発しているといって、オタクを観察していても、通常の生活の中でマンガやアニメのほかにも多くの情報を摂取している。テレビ、新聞、インターネット、街を歩けば様々なものが目に入り、カフェに座れば色々な会話が聴こえてくる。その中からマンガやアニメの影響だけを抜き出して観測することは不可能とされている。

それはともかく、マンガ・アニメ・ゲームといった娯楽が楽しい面をもつのと同時に、睡眠時間を圧迫したり、家族との会話を減らしたりすることも考えられる。だが、眠れない夜にアニメを見て時間を潰してもいいし、家族がいない人が娯楽にいそしむことで孤独を紛らわせることも可能だろう。何事にも良い面と悪い面は両立している。どちらか一方だけを永遠に得ることはできないのだ。そして、そのリスクをコントロールするのは常に人間自身に他ならない。


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