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【事件と関連のない作品の名前は報道に必要か?】

2015年01月15日(木)に群馬県吉岡町で起きた『小4女児誘拐未遂事件』において、犯行当時に現職の警察官であった容疑者が「30代の男性と中学生の女の子が恋愛する小説を読んで感化され犯行に及んだ」という旨の供述をしていると初期の報道がなされた。

”日本テレビ系(NNN)2015年2月20日(金)17:55
小学4年生の女の子を誘拐しようとしたとして逮捕された群馬県警渋川警察署の巡査・秋山暢大容疑者(24)は、警察の調べに対し、「30代の男性と中学生の女の子が恋愛する小説を読んで感化され犯行に及んだ」という趣旨の供述をしていることが分かった。秋山容疑者の自宅からは小さな女の子の性的描写のある漫画などが押収されているということで、警察は犯行に至る詳しい経緯を調べている ”

20150220_002.jpg
(引用: 逮捕の警官「小説に感化され」女児誘拐未遂|日本テレビ系(NNN)|社会|無料動画 GYAO!

現在この「小説」という表記は他サイトも含めて軒並み削除されており、「本・書籍・電子書籍・マンガ」といった表記になっている。
(参照: 群馬県警巡査、少女性描写漫画も 「恋愛の電子書籍で感化」
(参照: 「恋愛書籍読んで抑えられず」 女児誘拐未遂容疑の巡査

こういった表現物や創作物からの悪影響を懸念し、各都道府県では「青少年健全育成条例」という条例の中で、表現に特定の問題(特に過剰な性や暴力的なコンテンツ)が含まれていないかチェックする項目がある。実際に東京都では「東京都青少年健全育成条例」によって、すでにいくつかの創作物が規制の対象となっている。この条例の中では創作物でも「小説」などの文学作品は対象とされておらず、悪影響があり監査の対象となるのはのは「ゲーム・マンガ・アニメ」などであると定められている。

ゆえに、冒頭で報道されたような「小説に感化され」というのは、条例によって創作物を取り締まる側にとって「あってはならない」ことなのである。これはあくまで筆者個人の推測だが、各報道機関が「小説」という初期段階の報道を「本・書籍・電子書籍・マンガ」などに表記を変えたのは、こういった面での不都合をなくすためではないかと考えられる。
(参照: 東京都、青少年健全育成条例の“漫画・アニメ”新基準で初の不健全図書指定



具体的な作家名を出した報道

以前にも『【岡山倉敷女児監禁事件】アニメポスターなどの報道は必要か?』のほうで詳しく書いたが、何らかの事件に関わる作品があったとして、その事件と作品との関与があるのならともかく、そうでない場合(事件と作品が直接に関係しない場合)に作品の具体名まで挙げて報道する必要があるだろうか。

今回の件で言えば容疑者が「電子書籍で女子中学生と30歳くらいの男が恋愛する物語を読んで感化され抑えられなくなった」といった旨を供述しているため、一応は事件と関連がありそうではある。しかし、その作品名や作家名を具体的に報じるのであれば「その(作家の)作品が事件に決定的な影響を与えた」という客観的な確証がなければならないはずである。そうでないのならば、ただの「風評被害」以外の何ものでもない。しかし、実際には相変わらず何の根拠も確証もないまま、いいようにネタとして使われてしまっている。

「容疑者は動機を『女子中学生と三十代男性が恋愛する電子書籍を読み、自らも抑えきれなくなった』と供述している。関谷あさみという漫画家の作品を読んで犯行に至ったようだ。自宅からは十数冊の少女の性的描写を描いた漫画などを押収した」
(引用: 小4女児誘拐未遂 〈ロリコン警察官〉が読み耽った“少女性愛マンガ”

この週刊文春のWEB記事に関して、雑誌の記事では別のことが書かれているという以下の指摘もある。



作品は犯罪を起こすのか?

今回の事件で作家名まで使われて報道されている事実があるにも関わらず、事件と作品との関わりは非常に薄いと判断できる。そもそも今回の事件では女児らの持つ「巡回カード」という警察官でなければ知りえない情報を容疑者が使用したとされており、事件との関わりにおいては「警察官という職務上の立場を悪用した」ということのほうが直接的な要因になっていると指摘できる。

「創作物に影響されて犯行を起こした」というのは、あくまでも容疑者が語る自己分析的な動機に過ぎない。客観的に「創作物に影響されて犯行を犯した」という言い分は判断材料にならない。なぜならば、容疑者が読んだとされる作品は一般に広く出版されている書籍であって、容疑者だけが目にすることができたわけではない。であるならば、そのほかの読者も同様に創作物に影響され、同様の事件を起こしていなければ客観的に「創作物に影響されて犯行を起こした」という事実は認められない。

創作物を読んで犯行に及んだのは容疑者のみであるから、これは広く認められる客観的な事実ではなく、容疑者固有の反応であったと判断せざるを得ない。つまり、これは創作物のせいで引き起こされた犯行ではなく、容疑者にもともと犯罪の素質が備わっており、自己の願望と判断によって犯行に及んだと考えるほうが客観的な判断といえるだろう。ゆえに創作物に責任を求めるのは誤りであり、容疑者自身に充分に責任が求められる。

このように創作物(の影響)が犯罪の決定的な動機や要因とされる客観的な事実はない。それを証拠として示せるのであれば過去に起きた事件や事故でも検察が証拠として提出し、それが公判で確かなものとして認められるはずである。少なくとも近代において、現在まで筆者の知る限り、そのような判断がなされた判例は知らない。

もし仮に近代においてそのような判断が下されれば、それは「酒を飲んで事故を起こしたのであれば、酒が悪いのであって運転手は悪くない」という判断が可能になってしまう。ナイフで人を殺傷すれば「ナイフが悪いのであって容疑者は悪くない」、「創作物が悪いのであって容疑者は悪くない」といった判断がまかり通ってしまう。そのようなことはあり得ないはずだ。

さらに仮定して「犯罪の素質+創作物などの影響」によって犯行が引き起こされたのだと仮定しても、そのために創作物規制がなされ、他の多くの犯行に及んでいない人間が不便を強いられたとして、その不便に見合う効果が充分に得られるのかは創作物がなかった時代の犯罪率と比較すれば自明であるようにも思う。今回の件でもそうだが他の何かに犯行の責任を求めることは単なる「言い訳」でしかない。犯行を起こしたとされるのは容疑者自身であるのだ。



ラブライブ!は事件と関わりがあるのか?

つづいて2015年02月20日に神奈川県川崎市で起きた 『中1少年殺害事件』で名前が出た「ラブライブ!」について考察してみたい。事件の初期段階から「容疑者の少年はアニメオタクだった」などの報道がなされていたが、その段階では具体的な作品名が出ることはなかった。

”逮捕された18歳の少年の中学生時代の後輩で、家にも行ったことがあるという女子高校生は「学校では特に目立つ感じではなく、年下の友達が多い印象だった。家に遊びに行ったときに部屋に入ると、アニメのポスターが壁一面に張られていて、オタクっぽい印象だった。暴力をふるったりするような印象はなかったので、驚いている」と話していました”
(参照: 逮捕少年 アニメ好きの一面も - NHK

しかし、ほかの報道では通信ツール「LINE」の内容などから、徐々に具体的な作品名が露出するようになる。
(引用: フジテレビ 情報プレゼンター とくダネ! - 2015年02月23日放送

(引用: TBS 新・情報7daysニュースキャスター - 2015年02月28日放送




固有の作品名を使う必要はどこにあるのか?

本件に限っていえば、結論は「そんな必要はまったくない」ということに限る。先の事件でも述べたが、作家や作品が事件と直接な関わり、またはそれに相当する深い関係性があるのなら報じる必要性は生じるかもしれないが、単に「日頃から愛好していた」というだけで固有名詞を使って報道する必要性は皆無といっていい。

むしろ事件と関わりがないのであるから、作品や作家の風評被害を避けるためにも報道機関は積極的に固有名詞を伏せる方向に努力すべきなのである。「あるテレビ番組が好きだった」「テレビ番組を通して共通の会話があった」という程度で何の問題もないだろう。ことさらに「ラブライブ!」であったことを報じる必要性がない。
さらにいえば「アニメ・オタク」といったことを報じる必要性もない。もはやそれらは「犯人は釣りが趣味だった」、「草野球チームの一員だった」といった情報と同じように日常的なものであって殊更に強調することでもないはずだ。現代においてアニメやマンガやゲームといった趣味は未だに「異質なもの」「特殊なもの」という偏見が存在しているようである。

”大阪産業大客員教授の八幡義雄氏(初等教育)が言う。
「小さいころから殺戮をテーマにしたゲームやネットに触れている影響でしょう。『画面の中にあることを試したい』と思う子が少なからずいるのです。凶器を用意するのはアイテムを揃える感覚で、彼らとしてはあくまでも“試し使い”。だから殺すつもりがなく、逮捕されても反省の弁がないのです。殺人事件は今後、もっと低年齢化するでしょう」”

(引用: 川崎・中1男子殺害 イスラム国を彷彿させる“残忍な手口”

このような意見を目にすることも未だ珍しくないが、こういった「殺戮がテーマ」「残酷な描写」といった要素であれば、日頃から流されるニュース番組、新聞、ラジオ、映画、小説、インターネットの動画、写真...何でも影響はある。ことさらにゲーム・マンガ・アニメに限定する必要はない。本件でもニュースで繰り返し流されたISISの処刑映像の影響ではないかという指摘もある。ただ何に影響され、何を用いたとしても犯行を起こした人間に一番の責任があることは忘れてはならない。

本件のようにマイナスイメージがつく事件で関わりなく作品名や作家名が露出することは、露出されるほうからしてみれば望ましくない状態であるといえる。ゆえにテレビ局でも自分の局で放送しているアニメやドラマ作品に関しては、作品名や報道そのものを避ける傾向もある。しかし、他局のものであればネガティブキャンペーンの効果を狙ってか積極的に作品名など固有名詞を公開していく面もある。



視聴者としてこういった報道にはどういった態度を取るべきか

まずは『BPO(放送倫理・番組向上機構)』へ抗議を申し入れることが望ましい。公平な報道や倫理的な報道を心掛けるよう指導が入ることが考えられる。これはいち視聴者として誰でも意見を送ることができる。具体的に「放送局・放送日時・番組名・ふさわしくない内容」などを事前に用意して、意見投稿フォームから抗議を送ることができる。あまり過激な抗議文や同じ内容を連投すると悪質な投稿として弾かれてしまうので注意が必要である。

ほかにも報道で名前が出ているからといって作品や作家を安易に事件と関連付けて「悪いもの」のように考えないことが重要である。名前は出ているが、本当にそれは事件と関わりがあるものだったのか、自分で考えて切り分けていく必要がある。特に昨今、凶悪な事件があるとゲーム・マンガ・アニメが槍玉に挙げられるが、それは本当にそれら創作物によって引き起こされた事件なのか。創作物がなければ起きなかった事件なのか。常に自問していく必要がある。

映画 『ウエスト・オブ・メンフィス 自由への闘い (字幕版)
映画 『デビルズ・ノット
”ウェスト・メンフィス3(ウェスト・メンフィス・スリー)は、1993年にアメリカ合衆国アーカンソー州ウェスト・メンフィスで起きた殺人事件について、3人の男児を殺害したとして有罪判決を受けた3人の少年の呼び名である。首謀者であるとされたAは死刑、残りのBおよびCは終身刑であった(A、B、Cの生まれはそれぞれ1974年、1975年、1977年で、当時は全員10代だった)。この事件は地域社会のみならず全米からかなりの注目を浴びた。被告少年達は地域内では普段から変わり者と見られ、悪魔崇拝者との噂もあったことに対し、地域の大衆がメディアの報道や普段からの偏見によって煽動されパニック(モラル・パニック)を起こし、少年達を犯人に仕立て上げた冤罪ではなかったかとの批判も根強い。2011年8月19日、A・B・Cは無実を主張しつつ有罪であることを認める司法取引に応じ、10年の執行猶予で釈放された。結果的にそれまで懲役はそれぞれ18年をつとめた”Wikipedia

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